オサナイカオリノシゴト

KAORISSIMA ENERGY WORKS

あるものはある、ないものはない 〜聖職者の性的加害とか理想のパートナーシップとか

誰も知らない未来を創造しよう


 

いきなりなタイトルで。
というのも連日、聖職者による「性的加害」の問題が明るみになってきてますわ。
ここ数年、今の法皇になってから、この問題がバンバン暴露されてきていて、
今日もバチカンから破門された枢機卿のニュースがフランスの新聞に出てた。

L’ex-cardinal McCarrick, accusé d’abus sexuels, totalement démis par le Vatican

ザマアミロ、どんどん暴かれろ!って思う。

わたし、つねづね思っていた。
この世界の問題のほとんどは、
「あるものはある、ないものはない」
にもかかわらず、
ないものを「ある」と思い込み、あるものを「ない」ことにしなければいけない
ことに起因していると思う。
およそすべての問題が、手短に、ほんとこれだけ。
それだけだから、もうこの話を終わります。

と言いたい。けど一応説明する。

こないだ、仲の良い友だちに会ったら表情がすぐれない。
どうかしたのかなーと思ったら、人知れず心の中にあった
「夫との関係性を巡っての、凹み」だった。
夫婦問題の愚痴、というか
いや、それは世間一般の言葉で言えば「愚痴」というカテゴリに入れられてしまうのでしょうが、
現場レベルでは、決してそんな簡単なワードで済ませたくはない
かなりどうしていいかわからないような、途方に暮れてしまうような
誰に言ったらいいのかわからない「問題」。
事案のディテールこそ違えど、彼女の気持ちはよくわかる。

実は誰にでもある夫婦の話って、まだまだ公然とした場において話せない。
相手を選んで、まあポツポツと喋るか、
大抵は「人に言うべきではないことなのかもしれない」と言って、喋ることなく
鬱屈とした気持ちを自分の中に封じ込めて、
何もなかったかの如き顔をしている。しなくちゃいけないと思い込んでいる。
あなたもそう。わたしもそうだった。
そうだった、と言っておきながら、
そうは言ってもわたしですら、今もめんどくさくて話すのを躊躇していることはたくさんある。
だし、
実際、女というものは、何もない顔を「作って」過ごすというよりは、場面が変わったら
本当に何もないかのようなマインドセットになるものだし、
さらに場面が戻ると、依然とした解決されることのない「問題」が待ち受けている、
というのが「日常」だったりもする。
で、「はいはい、ま、そんなもんなんでしょ」と思いながらも
時々、それが堪えきれなくなって、
深い闇の淵を見たりもする。

ともかく。
その時わたしが友だちに言ったとっさの一言
「男女の理想的なパートナーシップなんて、そもそも、ないんだよ」。
あると思っていることが間違いだと、50年かけてわたしは理解した。
信長なら死んでいる。

そう、そんなものはない。
ないくせに、誰もが「理想のパートナーシップ」を思い描く。
若い頃からいろんなところで刷り込まれ、今もSNSには「夫婦のいい話」が表示され
いろんな人が、「これからの理想」みたいなことを言うたびに
「ああ、、、自分と相手の関係性は、理想とはまるでかけ離れてるじゃん」ということを思い知らされてるようなもんで
折に触れ、その現実に気づかされ、時に驚愕し、絶望的な気持ちにもなる。

これは女から見て、男はこうだ、とか
男から見たら女の方こそこうだ、とか
そういう「視座の違い」や「脳の違い」を理解することで、簡単に解決できることもあるっちゃある。
それで解決できるなら、もう問題じゃないからこの話は読まなくていい。

今言っているのは「そのレベル」じゃないレベルでの、
おそらくお互いの根っこの部分の根本的な相違による絶望
に直面した時に、果たしてどうすんのよ?
という話だ。

今までの社会では、
それがお互い、もしくはどちらかが我慢の限界に達した時にとる方策は
離婚以外にない。

離婚して、何かが劇的に変わった!(いい意味で)という話も、たくさん転がっている。
だけど、離婚してその後、仮に再婚するとして(いや婚姻関係というものを放棄したとして)
また出てくるのが
「理想的なパートナーシップ問題」
なんじゃなかろうか?

だいたい、相手と何かが相容れない、とわかったからといって
相手の全てがダメなのか
といったら、大抵の場合は決してそうじゃない、
というより、「一緒にいたら100%やばい」(命や財産の危険があるケース)の方が稀だと思う。
命の危険がある(DVとか)なら、すぐに逃げろ!だけども
今言ってるのはそういう話でもない。

で、新たな相手には、新たな相手の「欠陥」があるわけで
同時に自分の「欠陥」だって、そうそう簡単に改まったりしないわけだから
結局のところ、なんにせよ、
なんらかの妥協なしには成立しないのが「関係」というものだと思う。
「理想」のために自分の何かを我慢する。

ちなみに言っておくけれど
根本的に、人間には欠陥なんかない、と思っている。
ホールケーキの「何かのデコレーションが欠けている」のではなくて
人はすべて「そういうケーキ」として完全な存在なんだろうと思う。
だから要するに、そのケーキの味が、あなたにとって
すっごい好きか、まあ好きか、どうにか食えるか、不味くて食えないか
まあ、そんなところだ。

しかも、人間、長く生きていると味覚だって変わる。
昔はチョコが好きだったけれど、今はフルーツタルトしか食べれない
とか、そんなことだって起きる。
だからガトーショコラの中ではこれが一番!て思っても、
そんなものは永遠じゃない。

それに永続性を前提として、人を好きになりますかよ?って話でもある。
恋には「落ちる」ものだから一瞬のひらめきのような出来事だ。
さらに、その後、ともに過ごす時間の経過とともに相手を理解したり、
影響を受けたり与えたりして変化していく部分もあり、
また相手とは一切関わりのないところで自分に起きる変化もありで
変わらないものなど何一つない。

時々、「あ、今の関係性はいいな」と思う「時間帯」というものがあるだけで
その時間帯が長く継続すれば幸いだし、
お互いの変化を受け入れながらの土台共有ができれば最高だけれども
後者はいきなり理想論だ。

つまり、だから言ってる通り
理想的なパートナーシップなんて絵に描いた餅だ、ってこと。

で、これからの社会にあっては、
その上で、じゃ、どうすんの?という具体的なことは
一人一人が勝手に模索して、見つけなければいけない金脈みたいなもんだ。
掘り当てるかもしれないし、一生金は出てこないかもしれないし、
マイニング技術の共有化もない。

だけど、それぞれが、勝手にきちんと心地よい関係を見つけられたら
めっちゃいいことだと思う。
で、わたし思うに
もうそれは、婚姻関係を前提としたものでは絶対にない。
いや、運よく婚姻関係がうまくいけばそれに越したことはないのかもしれないけど
それは超ラッキーだ。
それに、ある程度の成熟した年齢になったら、「婚姻関係」を結ぶ意味を見つけることの方が
はるかに難しい。

これからは、既存の社会通念を超えたところに、それぞれにとって居心地のいい関係性を
たくさん持つ時代なんじゃないかなと思う。
誰も無理をしたり、妥協や苦痛を前提としないあり方の追求。
幻想を捨てて現実的になる時だ。

てな訳で
理想的なパートナーシップなんてない。
ないもんはない。
からのスタートだ!

次に。
あるもんはある
の話が、冒頭の聖職者の件だ。

カトリックの神父には恋愛が禁じられている。
結婚も許されない。
だけど人間だから、誰かを好きになったり、
誰かの体を欲することだってあるだろう。
聖職者にだって性欲ぐらいある。
当たり前だ。なきゃおかしい。
そう、あるもんはある。

あるものを「禁じて」きたことの結果が、
全世界での性的加害だ。
出てくる出てくる、マジかと思うぐらいのおびただしい数だ。
(ちなみに親友が住む北イタリアの町で実際に起きたこととか、かなりリアルな話をわたしは聞いている)
そしておびただしい数の被害者が、その後どうやって神に対して向き合ってきたのだろうと思うと
いたたまれない気持ちになる。

さらに、これらのニュースに対してSNSでつく
「とんだ性職者ですね」的な低レベルなコメント。
ウケ狙いかもしれないが、バカじゃないかと思う。
お前に性欲はないのかと問いたい。
「禁じられていることを守れないのが悪い」と考える人がいる限り
世界は変わらない。
もちろん加害者は悪いに決まってる。
けれど問題はそういうことを「禁じている」組織の方にある。
それを「我慢」することが立派だとは、わたしには到底思えない。
むしろ生命の源に対する冒涜だとすら思う。
それに、「我慢」したからと言って、
恋愛やセックスのひとつも知らない人間に、何の答えが出せるというのだろう?

ま、ともかく、バチカンも終わっている。
今後もっともっとエグい問題も明るみになるかもしれない。
なったらいいのに、と思う。

で、これから先、
もう、こんな風にして
禁じたり、我慢したりして
人は幸せなはずがないということが
誰にもわかるようになってくるだろう。
それぞれ自分の中にある「自分だけと思っている我慢」に照らし合わせて
そう、「ないもんはない、あるもんはある」という前提で
「じゃ、どうだったらいいの?」
って、考えて、実行する時だと思う。

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