3月です。修道院の裏山ではウグイスが鳴き始めました。
これから夏までものすごい勢いで鳴き続けるんだよ。ちょっと風情を通り越した世界w
ホーホケキョ ピラピラピラピラ
それは彼らの「婚活」!いいお相手に巡り会えるといいね!て、わたしからも祈ってる。
でもね
3月はお誕生月でもあるから、本来はヒャッハー!なんだけど、
わたしは振動数下がります。
KTSK
だから。
KTSK、そう、確定申告。このカクカクしたこわばった文字すら振動数を感じない!
はーーーーーーーーーーーーーーーめんどくさい。実にめんどくさい!
「イイ気分」の真逆。
だからギリギリまで、取り組む気にならない。
いや、着手すればな〜んでもないことなんだよ。
とっととやりゃあとっとと終わるんだよ。
そんなことは知っている。
だけど、「やる気」になるまでのいや〜〜〜な気持ち。
なんなんだろうね?一体。
この季節が来るたびに、わたしは死んだおじいちゃんのことを思い出す。
おじいちゃんはわたしを「かわいい、かわいい」と言って育ててくれた人でした。
おじいちゃんに何かを否定されたことが一度もありません。
まーーーーーーいろいろと問題あった家庭に育って、わたしがヨレずにどうにか生きてこれたのは、このおじいちゃんとゆー存在のおかげだと思ってます。
「かおりさんはイイ」んだ、ということを、24時間、365日。それを90なんぼで死ぬまで言い続けてくれました。
そう、それでね、
わたしは数字が苦手です。
「算数」が「数学」と名前を変えたあたりから、もうわたしには、この数字というものが
何がなんだかわからない、
わたしにはあんまり関係がないもの
としか思えませんでした。
もう「ルート」とか出てきた時点で、わたしの頭の中は
「だから、何?」という疑問でいっぱいです。
「ルート」とか微分積分とかが、わたしの人生に何を与えてくれるのか、
そもそもそれがわからなかったから一切やる気がありません。
それでも、中学の頃はまだ、「頑張って取り組んでみる」という気持ち的な努力はしていました。
高校に入り、ますます意味が不明になり、
意味っていうのはその問題や数式を解く意味のことなんだけど
考えたってわからないんだから、考えるだけ無駄
という結論に早々に達して、授業中は一切関係のない他のことを考えて過ごし、
試験には名前だけ書いて提出、という
つまり「わたしは数学を手放した」という状態に、とっとと入りました。
だけどさー
絶対、先生が悪いと思うわー。
先生ってゆーか、教科書?カリキュラム?文部省?国?なに?
なんか根本的に、わたしに「数学を愛するような気持ち」を芽生えさせないようにしてただろ?って思ってます。
むしろ、黄金律の話、とかから初めてくれれば、
世界の神秘を解明したいわたしのこと、
今頃数学者になってたかも知れないよ!(なわけないけどw)
そんで、学校の試験はそういうわけで
数学=0点以外ない
英語とか国語=たいてい100点かそれに近い
という、なんかイビツ極まるものになっていたので、母親が学校に呼び出され
「家の教育が悪い」
と怒られたっぽいWWWWWW
ところが母親は自分も数字がダメだったから、これには抵抗せず「まあ、仕方ないわね」となってたけど
家の教育が悪いと言われたことにはムカッときてたらしく、現場ではスイマセンと言いつつも
「なんでも家のせいにしないでほしいわよ、あの先生!」と帰ってから息巻いてたw
そこでわたしはおじちゃんに聞きました。
もしかしたらわたしが「悪い」のかも知れないと思って。
「ねえおじいちゃん、わたし数学が本当にダメなんだけど、それじゃいけないのかなあ・・・?
教科書とかもう、なんのことを言ってるのかわかんないんだけど。。。。」
おじいちゃんは数秒、真剣に考えて、真顔で言いました。
「そんなに嫌なら、やらなくて良いさ」
やっぱそうだよね?
しかし、そう肯定されると逆に怖くなってきます。
「将来、ろくなことにならないって思う?」
おじいちゃんの答えは明瞭で
「いや、数字を扱う仕事をしなければ良いだけだから、何も問題じゃないよ」
「数字を扱う仕事?」
「銀行とか、証券だな。おじいはそういうところにだったらお前を入れてあげられるけど、どうやら役に立ちそうもないね」
と言って、ははは、と笑ってこの話はおしまいになりました。
わたしはそれで、めっちゃ安心しました。
そうはいってもジイさんは、全国にチェーンを持つ会社の経営者だったのです。
(今見ると昔の人ってカッコいいよ!)
この人はそんなにおかしなことを言うはずがない。
ま、わたしはだいたいそんな風に考えていました。
今思うと、この話は
気分が悪いことはやらなくて良い
という、引き寄せ的なものの根本をなす、シンプルで強烈な教育だったと思います。
大体おじいちゃんから受けた教育のすべてが、それ的なことでした。
わたしが「やだな」と思うことは「いやで仕方ない」というふうな具合です。
わたしが最近「エイブラハム」の本を読んでチョー納得したことの由来はそんな原体験とともにある。
まーそれ以来、わたしは「数学が極端にできない」ということは、自分にとって一切問題ではないこと
と確信を強めたわけです。
ビンゴでしょう?
だって計算なんか今やエクセルがやってくれる。
確定申告だって、本来はもうアプリとかでできるような話。
割とそのうち税理士とか会計士だってAI先生が取って代わるようになるでしょ?
なので、
KTSKが「チョーめんどくさい」からといって振動数が下がるのも、せいぜいあと数年、と思って
仕方なくやることにしています。
それに、やったあとは勝手にアガるんだもんね。
で、今日もまだ着手しません!(きっぱり)
読んでくれてありがとう!
またね〜