全国の聖母の皆さま
あ〜〜〜
今日は昨日の酒が残っていて、ピアスを2点作った以外は、なんだか1日ぼんやりしてたw
最近には珍しいことだわ。
わたし、もうそんなにお酒飲まないのよ。必要としていないってゆーか。
だけど、その場が楽しかったらやっぱり「いいお酒」なのよね。
そーゆーときは飲んじゃうわ。
ちなみにその場が楽しくなかったら、無理に飲まずに「とっとと帰る」を選択するのw
でもね、なんか最近ちょっと働きすぎじゃない?って思ってたから
いい休養になった。
ボケーっとする時間をしっかり持たないと、シャキっとする時間も持てない。
50メートルを全力で走ったら、あとはボケっとしてる、ぐらいの方がいいの。
そーゆーわけで、今日はもう寝たいんだけど、
昨日の記事へのメッセージもらってたから(嬉しいねぇ)
「制限がある方が心地いい」人たち、について、ちょっと書いとく。
あのね、
「制限がある方が心地いいんだ」っていう、自覚があるかどうか、だと思うの。
要するに、「制限がある状態」を自分が選択しているんだっていう自覚。
いわば割り切り。
そういう意識でいるなら、問題ではないと思うの。
だって、「いつか別な選択をすることができる」ってことも同時にわかってるってことでしょう?
「制限」という選択肢、「無制限」という選択肢の二択から
「いいの、わたしは敢えて「制限」を選んでいるの。好きだから」。
そう自覚しているんだったら、その人はハッピーかも知れない。
そして、自分以外の人を羨んだり、自分を卑下することもないでしょう。
けれど、「ないない」言う人って、
ほとんどはその自覚がないよね。
その状態を選択しているのは自分だと思っていないのよ。
それで「ない」=(他者から)与えられない だと思い込んでいる。
例えば
安い時給しか払ってもらえない
とか。
やりたいことがあるけど、許可してもらえない
とかも同じかな。
わかりやすい。
お金がないない、時間がないない、スキルがないない、経験がないない、、、
なんでも同じだと思うんだわ。
それ総じて「ないない病」なのよ。
(やだ!これを思い出したわw 今聴くとすんごい歌詞なのねw)
で、ほんとはそれ、自分で治せる病なのよ。
というか、自分でしか治せない、って言ったほうがいい。
お金がないならお金を作ればいい、時間がないなら時間を作ればいい、スキルがないならスキルを得ればいい、経験がないなら経験すればいい。
本当はただそれだけのこと。
だけどそれには「ない」じゃなくて、たったひとつの「ある」を選択しなきゃいけないのよね。
何かというと「勇気」なのよね。
それ、どっから来るかっていうと、やっぱり自分でしょ。
だから自分の中にある、一握りの勇気を「ない」ことにしているのと同じ。
勇気すらも、誰かにもらえるものだと思っている。
で、その本当は持っている「勇気」を再起動させられない言い訳を、常に探しているわけよね。
どうしてそうなるかっていうと、
「かわいそうな自分」を標準に設定しちゃってるっていうか、
あるいは「かわいそうな自分」であることが「お得」なのよ。
その方がメリットがある、って潜在的に思っているんじゃないかしら。
弱者信念ていうやつかしら。弱者でいることが正しい、的な思い込み。
実は弱者転じて最強なんだけどね。
だってさ、「ないない」の言霊ってすごいと思うんだよね。
「ないない」言うと、その場の振動数っていきなり下がるわよ。
アガっていこうとする周囲のエネルギーを、下に引っ張るチカラ。これは強いよ!
で、そっち側にいる人のことを
引っ張りあげたりすることは、実は誰にもできません。
その人に、その意思がなければね、というお話。
まあ、そんなところです。
どちらを選択するのも自由。
自分の選択を自覚して肯定しましょ。
新時代ですからね、なおのこと。
読んでくれてありがとう!
またね〜!