あとね〜、
いつまでも「過ぎた日の不幸」「傷ついた自分」を大事にしてる人もヤバいけど、
実はそれと同等か、
もしかしたらそれよりヤバいのは
傷ついたことを認められない人
なんだよ。
これねー、結構あるんだよ。
例で言うとこんな感じ。
子供時代に親が離婚した。
それさー、子供としては傷つくに決まってるんだよ。
悲しいに決まってる。寂しいに決まってる。
理不尽という言葉をまだ知らないお年頃でも、それは「理不尽なこと」なんだよ、
通常考えたらね。
でさ、多くの人はそれをスッキリなんかしない状態で数年過ごしたり、
そのまま成長していくわけだ。
その過程で、寂しさや悲しさ、不安やなんやかやと、うまいこと折り合いをつけられる人もいる。
それができなくて、グレちゃったり、あるいは何かのバランスを崩したりして、いわゆる通常家庭(そんなもんあるのかよ?っていう気もするけど)の子のようにはいかないケースも多々ある。
だけど中には、
「親が離婚したせいでグレた」と言われたくない!とか、
親の離婚の影響と思われそうなネガティブな「風評」が出ないようにとか、
しっかりしなきゃ!っていう気持ちで、
健気な我慢をしちゃう人もいて、そしてそのまま成長する。
こーゆーケースってね、
自分が傷ついたことを認められない人
になりがちなんだよ。
大人になってから、「実は寂しかったんだ、お父さん(お母さん)がいなくなって」って
認められればいいんだけど、
そうじゃないケースは
「わたし、寂しいなんて感じたことないから」
って、「♬飾りじゃないのよ涙は ハッハー」てことになる。
ハッハーって、あーた。。。
これもつまりひとつの
「正しい負け方を知らない人」であってね、
(もちろん、それは本当の意味の敗北なんかじゃないよ)
負の感情を持ってはいけない、という圧力を自分にかけてるから
人の苦しみに冷淡だったり(そんな体験よりわたしの方が全然ひどい思いしたけど、わたしなんともなかったよ。そんなことで傷つくなんてバカみたい、的な)
そのうちに、感情全体が麻痺したり
感じている感情(楽しい、嬉しいも含めて)を素直に表現するのにぎこちないとか
もっと言うと、
失うことを恐れて、本気で誰かを愛することができない
とかになったりするんだよ。
なのでそーゆー人は恋愛問題には疎いか、距離をとるよ。
仮にそういうケースで結婚しても、
今度は離婚トラウマがあるから、それだけは避けようとするよ。
だけど、本当のパートナーシップとか
本当の肉体の交わりとか
そういったものからは程遠いんだよな。
そういったものを知らずに終わるの。
でね、恋愛ってね
たくさんすればいいってもんじゃないって思うかもしれないけど
え?たくさんすればいいってもんだよ?
とわたしは思ってる。
だってね、恋愛って究極の人間関係だからね。
それ以上に理不尽なことって、なかなかないしね。
それを経験して、昇華することでしか、本当の意味で学びを得られることって、あんまり見当たらない気がすんの。
あのさ、愛する猫を失うと死ぬほど悲しいじゃん。
その悲しみって、別な猫がやってくるまで残るのね。
猫の喪失は猫でしか埋められないのよ。
猫がいない悲しみは、仕事頑張ることで忘れられるとか、ないからね。
仕事から帰ったら、ああ、猫がいたらな〜って思うだけだもん。
それと同じでさー、
人によって傷ついたことは、人によって解消する以外ないんだよ。
傷つかなくなるまで、
実は傷つく必要はなかったんだ、ということを悟るまで、
何度でも実地訓練する以外に手はないのじゃないか、と思うんだよ。
あるいは、自分も離婚してみて、
ああ、離婚するってこういうことなんだーって、身に沁みて分かったり、
体験的に知ったら、自分の元を去った親のことも許せるでしょうし。
よくねー、
自分は愛されない/愛されてなかった/愛されたい
みたいなことってねー、
よくよくみてると
あーた、そもそもほんとに人を愛したことあんの?
それ、言ってる「愛」ってただの幻想か、執着のこと言ってない?
ってケースは多いよ。
そんで、「親の離婚」はわかりやすい例えだけど、
ひとつふたつの恋愛とか結婚生活で
仮にこっぴどく傷ついたとして、
傷ついたんだってことを思いっきり認めるところからしか、
その先の解決はないよ。
「愛されない」なんかより、
「誰のことも愛していない自分」の方が、実ははるかに消耗するって知ってた?
で、グチグチ考えたり、スピに依存しても
根本的に癒されたりすることは難しいと思うよ。
だって、体験することで、学びは完結するんだもん。
だったら、バッターボックスに入って、
来た球を強く打つ練習をした方がいいですよ、
ってことを言いたい。
そーゆー意味で、オバハンは、
チュニックを脱いで、今すぐユニフォームに着替えろ!
と言いたいわけです。
イミフかしら?
あ、そう?イミフ?
これ以上書けないから、セッションに来てくれたらいくらでも喋るよ!
ちなみに明日の午後@品川で、15:30以降はメッセージくれたら受付可能。
じゃ、またね〜!