8月8日。
なんだか幸せだなー。
ということを、あらゆる種類のセミの鳴き声を聞きながらしみじみ感じた。
「聴く」というより聞こえてくるこれは生命の周波数。
しみじみして涙が出てくる。
みんな全力で生きている。
狭い庭にちょうちょが舞い、果てない命をつなぐためにレモンの木に卵を産み付ける。
家の中は雑然と散らかり放題。
朽ちて散る緑の葉っぱ。
片付けようと思うけどめんどくさくてやってない。
マヌケなDNが忘れて出かけた財布がテーブルにある。
だけどこれも生命の活動。
わたしや家人が生きているという証。
あちこちで火山が噴火し、
大地も生きている、生命の活動。
外に出れば灼熱の太陽、
寄せては返す波、
風の音。
星も生きている有機的存在。
大きな宇宙に内包された、我々ごときのナノレベルの生命。
このエブリ・シングル・ナノ生命の寄せ集まったものが宇宙。
焦りも固執もなく、
ただボケーーーーーっとしたもの。
高揚感でもなく。
湧いてくるというよりは、包まれているような感じ。
到達するというよりは、気づく感じ。
生命の喜び。
この世界に、死んでいるものは何ひとつ存在していない。
目に見えようが見えまいが、存在しているものは全て生きている。
限りあるように見えても限りない。
始まりもなく、終わりもない。
そっか。そーだよねー。
みたいな感じ。
・・・・イミフかも。
でも書いておきたくなった。
教訓めいたことでもなんでもない。
聖アントニオはお魚に説法したかも知れないが、
わたしはセミに説法をされている。
読んでくれてありがとう!
またね〜!