今日はお盆、
終戦の日、
聖母被昇天の日、
イタリアではフェラゴスト。
言いたいことがたくさんあるんだけど、台風による気圧影響か、頭が痛くて
マトモなことを書けません。
ともかくも、わたしが言いたいことは、今日の下野さんのブログに書いてある。
「戦争の話」
まんま、同意です。
特に特に、この箇所。
多くの犠牲の上に私たちが、生きている、だから、感謝しなさい、という人々のなんと多いことか。
それを美しい話にする、という、
これこそトンデモ話。
彼らは、支配者のために戦った、あるいは虚しく死んでいった、
犠牲者なんです。
そして、もしこの構造が維持されるなら、間違いなく、我々庶民も、近い将来、犠牲者にされるでしょう。
そのことを、よくよく認識、考察した上で、楽しく生きていきましょう。
これを、わたしはずっと言い続けてきた。
「英霊」という言葉さえ、わたしにはちょっとした違和感がある。
けれども、この話をするのは今まで容易ではありませんでした。
多分、今でも容易ではない。
なぜか、ヒステリックに反応する人がいるのです。
ある程度「わかってる」人ですら、ある種の思考停止が働くのだと思います。
今の平和は、多数の犠牲の上に成り立ってきた、という論調が、
わたしにはどうしても、受け入れられない。
犠牲者は犠牲者、平和は平和。
勇敢に戦い、死んでいった者、
無謀な作戦で、餓死させられた者、
帰る人を待ちながら、市内で死んでいった者。
あらゆる無念の中で、たくさんたくさん亡くなった。
考えれば考えるほど、頭に来ます。悲しみよりも怒りを感じる。
どうしてそんな目に遭わせられなきゃいけなかったんだ。
勝ち目のない戦いとわかっていたのに開戦し、
劣勢であることを伏せて報道し、
死んでいくのはもちろん我々クラス。
今生きているわたし達は、もれなく「生き残った者の末裔」です。
何をすべきかではなく、
何をしないべきか
の方がよっぽど大事だとわたしは思う。
最近、NHKはすごく頑張っていい番組を作っている。
今日は2.26事件の、これまで公開されていなかった真相、
この前は、たったの10年で、右翼的な空気を作り出すことに成功した私設の「新聞」の話。
かなり衝撃だった。
この国の人たちは、洗脳されやすい。
軍部だけが悪いわけじゃない。民衆だって愚かだった。
すぐに同調し、あっという間に論を変え、あっという間に熱狂する。
そして、それがいかなる結果をもたらすのか、誰も考えない。
非常に恐ろしいと思った。
というのは今も根本は同じだからです。
このクソ暑い中、そして財政含め諸々の環境が整わない中、
決まったことだから
という理由で、イミフな五輪をやることになっている。
やるとなったら、決定前には「反対」と言ってた人たちも
チケット手に入った!みたいな話題になっている。
いつも言っていますけれど、この修道院では
あまり政治や社会問題に言及したくないと思っています。
でも、今日はちょっと、言いたくなりました。
何をしないべきか、は本当に大切です。
しないこと、それは
むやみに同調しない。
どんなことであれ、人に同調することをやめるべきです。
あなたが心の底から、本当に望んでいること、本当にいいと思っていること以外は、
すべてどうでもいいことです。
わたしは、人の言うことなんかきかない。
もう一度言いますけど、
わたし達は生き残った者の末裔。
時代を作っていくのは、わたしたち自身です。
今日、こんなニュースも目にしました。
「火災被害のノートルダム大聖堂、熱波で「倒壊の危険」 仏文化省」
再建して名を残したいあの方やあの方、
たくさんお金を出すと言った方々(でも実際はそんなに集まってないらしいとも聞く)、
色んな方々の思惑とは裏腹に、
マリアさまは絶対に終わらせたいんだろう、とわたしは読んだ。
火災直後に書いた記事の通りです。
大事なのは、わたしたち自身の意思だと思う。
みんな一人一人が聖母なのです。
読んでくれてありがとう。
またね!