こないだ落ち込んでる時はきちんと落ちた方がいい、ということを書いたけれども、
その日の午後、友だちがはるばる千葉からグダグダ喋りにやって来た。
その時点で彼女はわたしの直近の「懸案A」を知らず、
彼女の身に起きたあれこれを聞くグダグダ会のつもりが、期せずしてわたしの話も聞いてもらった。
彼女は、それを話すのに適した人だった。
ありがたいことだなーと思う。つくづく思う。
だって今それ、普通ではない。
なんでもチャットで済む時代、時間を作ってわざわざ会いたいと思ってくれるって、
どんなに貴重なことだろうって思う。
鎌倉という立地の恵みも多分にあるだろうな。
人は時に、なんとなく、海の空気を吸いたくなるものだと思う。
わたしは鎌倉という町が好きだが、ここはわたしの生まれ育った町だからで、
それ以上の幻想は持っていない。
というのも、なんやかや人気があって、「いいところですねー」って言われるけれども
生活条件はそんなにいいわけではない。むしろ良くない。
土地は高いし、不便だし、市内にまともな病院すらない。
想像されているより景観的な美的感覚もない。
まとまりもない。
そのくせなぜかプライドだけは高く、めんどくさい人が多い。
「文化」「文化」って言う人いるけど、「空気感」はあっても、実際、文化ってほどの文化はない。
言っておくけど、鎌倉時代の建物なんか、ないよ?w
京都にも金沢にもある「文化」は、ここにはないよ。
本当は東京から近いただの田舎町、けっこうダサい町なのに、何かがアンバランスだと思う。
それは昔からだし、今もひどい。
ただまあ、例えばイタリア人は皆、自分の生まれた町を誇りに思っているし、
他の場所と比較して、我が町を小さく思う必要もない。
わたしもそんな感じで、自分の町だから鎌倉が好きだ。
海と山がもたらす恵み、のどかで能天気な気風。
殺伐とした空気は、この町にはないし、
その代わりに、必死にがんばろう!という気概もない。
「海はなんでも持って行ってしまうから、いいものも、悪いものも残らない」
って誰かが言ってた。
「積み上がらない」んだって。
確かにそうかもしれないなと思う。
でももう殺伐とした環境や、必死さに馴染めるお年頃ではないのも事実だから、まーこれはこれでいいやと思っている。
それにわたしは、水のないところはしんどくて住めない。
それにしても、年を経てくると、自分にも周りにもいろいろな経験は積み上がっている。
積み上がらないのはお金だけw
入ってくる、出て行く。確かに波のよう。
でもね、「何もなく順調な人生」の人は、人の痛みがわからない。
辛い、とか、悲しい、ということを
身を以て実感している友だちから出る言葉は薄っぺらくない。
そのありがたさよ。
真の孤独を知っている人間は信用できる。
それが人生のデフォルトであることをわかった上で、出てくる言葉に価値がある。
孤独とは、解消されたらころっと忘れてしまう困難とは種類が違うものだ。
わたしも経験だけはいろいろしてきた。
薄っぺらい言葉を人にかけるような人間にはなっていない、と思う。
それでも軽く能天気でありたいと思う。
薄くて軽い、なら誰でも言える。
軽い言葉の後ろに分厚いものがある、ってのがいいなと思っている。
ま、とりとめもないねw
読んでくれてありがとう!
またね〜!