父をめぐる状況が目まぐるしく変化し、ここのところ実家に泊まることが多く、なんだか奇妙な日々です。
わたし自身も、時間の概念というか、「それがいつの出来事だったのか」「どれぐらい前のことだったのか」の記憶というか認識がぶっ飛んでいます。
落ち着いた時間を持つことができないので、これまでと重複する箇所があるかもしれませんが、今日は「意識と次元」の話を書いておこうと思います。
父に課せられたタスク(平たく言えば病名)は「咽頭がん」です。
3度目の発覚以来、父(および母)が取ってきた対策は、「一般的な西洋医学に基づく処置」です。
これに関しても言いたいことが山ほどありますが、とっとと「意識と次元」の話に進みたいと思います。
父の様子が激変したのは、多分10日ほど前かも知れません。
激しい痛みによるものなのか、またはそれを抑えるために投与する薬のせいなのか、あるいは自然とそうなるものなのかはわかりませんが、父の「意識のレンジ」が拡大しはじめました。
それを母親は、
「もうすでに何を言っているかわからない状態なのよ」と言うのですが、一般的な人が「幻覚」と呼ぶそれは、わたしに言わせりゃ
違う次元に意識が行っている状態
なのだと思います。
もとより、咽頭にある腫瘍は、父の、クリアな発声を妨げています。
だから、通常の言葉でも聞き取りにくくはなっている。
そこに、この「三次元の意識」と、「それ以外の意識」の世界を行ったり来たりするものだから、母には何のこっちゃかわからない。わからないのは当然です。
でもわたしには、なぜか8割がたはわかる。
父が話し始めたら、何を言うのか、どんな言葉が続くのか「あらかじめ予測しない」ことが、その秘訣だと思う。
そこで母に、説明しました。
意識とはスクリーンのようなもの。わたしたちはそれぞれマルチスクリーンの映画館のようなものだと。
三次元の意識=地上の意識では、みんな同じスクリーンの映画を見ているようなもので、
それでさえも、実際はどのシーンが印象深いかとか、登場人物の捉え方は人それぞれなんだけど、少なくとも同じ映画について語ることができる状態。
お父さんは、もっと高度な映画館に行っていて、わたしたちの想像もつかない多様なスクリーンを見ている。
そのスクリーンとスクリーンの間には連続性がないから、自由に移動している。
時間もないから、今の話と次の話が繋がっていないのは当たり前のこと。
想像もつかないけれども、時々わたしたちが途方もない夢を見たりするのも同じ仕組みで、他のスクリーンを見ているけれども他の人には伝わらないのと同じこと。
意識には階層があって、お父さんはこの世の世界と、言ってみればホトケの世界を行ったり来たりしている。行ったり来たりできるのは、そこにまだ階段があるからで、その階段がなくなれば、お父さんはこの世には戻ってこない。
そんな感じなんだよ、と。
だから、それを「おかしくなった」というのは失礼なことなので、やめたほうがいい。
わたしたちに見えないだけで、お父さんは確実に見たものを口にしているだけなんだから、「へぇ〜」と言って聞けばいい。
人の尊厳というものを大切にしてほしい、と。
実際、わたしにはすべてが興味深く、面白い。
父が何を見ているのか、できる限り知りたい。
とてつもないスペクタクル感をもって、父と接しています。
だって、本当に面白いんだよ。
先週ぐらいには、
はっと目を覚ました父が
「なんだかいろんな人に会ったんだよな」
「へー、どんな人?」
「なんだか非現実的なんだよな」
「歴史上の人物とか?」
「そうそう!」
「へ〜〜!おもしろいね〜」
「おもしろいなあ」。
そうかと思えば、いきなり
「どんなに狭い空間でも、二つの側に分ける事ができる。こちらと、こちらと言う風に。空間はその2つをうまく使わなければいけない」
と、理路整然と講釈してくれた。
「へ〜〜〜、確かにそうだねー」
「そうだ」。
他にも言語化はできないけど、すーごく哲学的なことを言ったりする。
別な次元で遭遇した「ビジョン」の説明が飛び出すこともある。
だけど何よりわたしが一番感銘を受けているのは、
このような状態になっても、父はいまだに
ギャグを飛ばす
昔からやっていた、おかしなジェスチャーで笑いを取る
これには本当に、「さすがだな」と思わずにはいられません。
我が父ながら、というか、むしろ逆に、さすがわたしの父だな、と思うのはそんな側面で、
最後の最後にそんな様子を見せてくれて、心から尊敬できる。
人間にとって、最も大切なのは笑いなんだと、身をもって示してくれていると受け止めた。
痛みは最悪な苦痛だと思う。
けれど、相反するように、苦痛の中でも「この世の苦痛」から解放されているのだろうと思う。
彼本来の中にある、優しい気持ちや、ユーモアのセンス、
くっだらねーギャグを言ってゲラゲラ笑う様子、
そういうものが飛び出すたびに、この父への感謝が湧き出てきます。
色々とあったけれども、立派な人だったと思う。
「あ、これで死んじゃうのかな」と思った局面が何度かあって、
「お父さん、ありがとうね。また会おうね」と伝えました。
「いっぱい喧嘩もしたねー。よくぶつかったよね」と言ったら、父は
「人間が生きているというのはそういうことだから、それでいいんだ」
と言いました。
「そうだよね。またやろうね」と言ったら
大きく頷いていた。
あー、やっぱり、そういうことなんだなー、とわたしは思った。
時間が来たので、今日はここまで!
読んでくれてありがとう!
またね!