人はそれぞれ魂と、自由な意思によって成り立っています。
ナンピトも、それを侵すことはできない。
人が、「こうしたい」「これは嫌だ」と言うこと、思うことは、その人の当然の意思であって何ら悪いことではない。
生命は素晴らしいものであって、生命の炎が灯っている限り、人は自由に意思を表現することができる。
わたしも、あなたもです。
それは例え、その炎がか細くなって、やがてくる死を迎えようとしている父であっても同じこと。
生きているということは、意思があることです。
わたしの考えは、このようなもので、そして死を迎えようとする人の意思は最大限に尊重したい。
だって、今回の人生の最後なんだから、できる限り気分良く終わらせてあげたいものです。
わたしは今回の一連の「騒動」を通して、母が「人を尊重する」ということはどういうことか、気づいてくれたらいいなと思っていました。
ある意味、これは母にとって、それを知る最後のチャンスなのです。
「人を尊重する」ことは、その人の言いなりになることではありません。
その人が望んでいることの本質を理解することです。
望んでいることが実現可能なら、実現に向けた手伝いをするか、またはイミフな手出しをせず見守る。
ただそれだけ。
人の意思に、「勝手に」自分の思惑を乗せて押し付けることではありません。
また、その意思に対して、ことを起こす前からその是非をジャッジするのも意味がありません。
母は、わたしが知る限り、ずっとこれをやり続けてきました。
そのため、父とはしょっちゅう諍いになりました。
もちろん、わたしともです。
母はもちろん、自分が押し付けているという意識はありません。
何度話しても、「押し付けてないわよ!」と言い放つ。
しかし、そもそも「押し付けとは何か」、何が押し付けに当たるのか、理解をしていないのだから変わりようがありませんでした。
というよりも、理解を拒み続けてきました。
それを理解することが、彼女にとって「負け」であるかのように。
長い人生で、わたしはこのことに疲れ果て、父の癌が再発するまで実家には寄り付きませんでした。
「近寄らないことで身を守る」と決めたのです。
しかし今、この状況では
父の最後の日々なのだから、彼の意思を尊重し、気分良く過ごせるよう、話さざるを得ません。
叔母(父の妹)もいるところで、その話をしました。
他人がいると、「いい人」を演じる彼女は、「わかった」と言います。
けれども、人がいなくなれば、何も変わらず、押し付けを繰り返しては父をイラっとさせています。
当初、わたしが実家通いを始めるまで
「お父さんがわがままで癇癪を起こしてわたしは大変だ」という言い方をしていました。
彼女は相手の反応が悪いと、それは自分に原因があるのではなく、「相手が悪い、最悪な人間だ」と解釈することで満足するのです。そして「そんな人間の相手をしている自分は大変だ。苦労している」という理論で、自分を満足させています。
わたしはいたたまれない。
イラっとさせているのはあなただ。
そこで、わたしも覚悟を決めて、実家に通うことにしました。
あれだけ、父をお風呂に入れるのがどんなに大変か!と話していたので、わたしがやることになりました。
え?
な〜んにも大変じゃない。
はっきり言って、バカみたいに簡単でした。
父は筋肉が衰えて、足腰が弱くなっているだけで、「いわゆる痴呆」ではないのです。
ホトケの世界ではなく、「この世の意識」の時に、シャワーしたい、トイレに行きたい、紅茶が飲みたい、などとリクエストします。
むしろ頭脳は聡明なのです。何が危険かわかっていて、慎重に動作を進めます。
足取りはフラフラするけれど、ゆっくり進めば腰を抑えてあげるだけで、特に問題はありません。
それを急かしたり、彼のペースを尊重しない言葉を言えば、誰だってイラっとくるのは当たり前。
それなのに「香織の言うことはきくけど、わたしには反抗する」と言う言葉も、わたしには虚しい。
わたしは「言って聞かせよう」とか「なだめすかそう」なんて1ミリも思っていない。
父と会話し、それは無理そうだと思えば、
「そうすると、こういう危険性があるよ?」と言えば、父は理解して
「そっか。やめとくか」とすんなり受け入れます。
はっきり言って、何の問題もない。特に問題はないのです。
父の要望なんて、ささやかなものです。
例えば、「着替えをしたい」と言って、お気に入りのシャツを選ぶことはわがままではありません。
「トイレに行きたい」と言って、自分で歩いて行こうとすることはわがままではありません。
そして結局、その要望を受け入れて介助することになるのだから、機嫌よくやればいいものを
いちいちため息をついたりするのが、わたしの母なのです。
また、父が「できる」ことより「できない」ことに過剰にフォーカスして、何度も繰り返しその話をします。
例えば、父はもう、字を上手に書くことも困難です。筋力がないのだから仕方がありません。
「お父さんは、自分の名前ももう書けなくなっちゃったのよ」。
それをわたしだけでなく、在宅ケアの人たちや、そんな話を聞いてもどう反応しようもない人にまで何度も繰り返します。
咽頭に腫瘍がある父が、固形物を飲み込むことができなくなった時、
何より食べることにはこだわりのあった父ですから「もう食べられない」というショックは周囲よりも本人の方が大きいはず。
でも、甲斐甲斐しく料理を作っては
「また食べない」「これも食べない」と言うのは、ちょっとどうなんだろう。
「あなた、自分がそういうことをずっと言われたら嫌な気持ちにならない?もうやめてくれない?」と言うと
「そうね」とは言うものの、別な人が来ればまた話します。
わたしは、うんざりします。
父はもう文字を書く必要はなく、そんなことはどうでもいい話です。
人のもった「ありよう」というものは変わらないのかも知れません。
昔から、人の可能性より「できないこと」を指摘し続ける人でした。
家の内側より、外側の人にいい顔をする人でした。
母のそんな言動を聞いているうちに、昔わたしがさんざん苦しめられた、母の責め苦が蘇ってきます。
そこでいい加減わたしは気づいた。
わたしは父の死で、母が変わってくれることを望んでいた。
「最後ぐらいさ〜・・・・」という気持ちがあった。
それはわたしの「要望」であって、母はそれを望んでいないということかも知れない。
母は母の人生。
夫婦は夫婦の人生です。
夫婦とはおかしなもので、そういう役割を演じるために生まれてきているわけだから、父の魂だって納得ずくなのでしょう。
そういう魂の約束なのかも知れません。
この後発生する葬儀に関しても、死後はばたついて段取りどころじゃないから
父の要望を汲んでわたしとDNで見積もり取ったり交渉ごとをしたりしましたが、それさえもわたしのいないところで文句をつける。
意味が全くわかりません。
そこでわたしは決めた。
だったらわたしはもう、何もしないほうがいいなと思いました。
母の気の済むようにすればいい。
葬儀の段になったら、父は死んじゃってるのだから、上から何もかもニコニコ見ていることと思う。
わたしは父に生命がある限り対話を続けますが、それ以降のことは、もう関わるのをやめようと思います。
母が何かを感じて態度を変えるならそれもよし、変えなくても、それはそれでよし、です。
わたしにどうすることもできません。
わたしは母の複雑な心理の奥底にあるものを汲もうとしてきた。
けれどそれ自体、無理な話なのだとしたら、母は自分が気の済むようにやればいいだけのことで、
そこにわたしが介入することもまた押し付けになる。
「わたしはこんなに大変なのに、娘は何もしない」と人に言うことで彼女の魂が喜ぶのなら、
むしろ気持ちよく喜ばせてあげる、というのも、役割かな、と思い始めたところです。
親子関係で悩んでいる人は大勢いると思いますが、美しい話を望んでいても苦しむだけです。
今わたしの取る選択は、そんなところです。
変わる意思のない人を変えることはできません。
絶対に。
これはわたしにとっても学びの機会なはず。
だったらそれを学びとしようと思いました。
父は明日「緩和ケア病棟」に入ります。
読んでくれてありがとう!
またね!