明日から仕事始めって人も多いと思う。
なんか正月感のない正月(わたしだけ?)だけど、やっぱ正月はビシッとした気持ちで野望を抱くって大事なこと。
ジャパンに生まれた我々は実は知っている。「お書き初め」ってそういうことでしょ。
素晴らしいよね。心の中に抱いた野望を文字にしてマニフェストする。当然、気持ちはビシッとなるし、文字は言霊の物質化だもん。
「野望」なんて聞くと信長か!って感じだけど、別に天下統一とか、業界No.1目指すとか、年商1000億円とか、そんな話ばかりじゃない。
フツーに考えたら到底ムリなこと、
少なくとも「古い世界」の常識的な人からは、「ハァ?何言っちゃってんの?」とか「え、どうやって?」とか言われるようなこと、
そんなことのすべてを野望と呼んでいいと思う。
例えば、「旦那の他に彼氏が欲しい」とかもめっちゃ立派な野望だし、「今年の紅白の審査員になる」「嵐と共演する」は本多理恵子の野望。
(その路線で言うならわたしは「藤圭子に会いたい」だけど、それじゃわたしがあの世に行く以外に難しそうだから今は取り下げるw)
もちろん、負のループから抜け出したいとか、本当にやりたいことを見つけたい、とかも「野望」。
「野望」と「目標」は全くもって違うもの。
「目標」ってのはフツーに考えて戦略を立てれば達成可能な範疇のこと。
そんな目標ですらも最近は「未達」を恐れて言わない人が多いんじゃない?
書き初めに「健康」とか「家内安全」とかで済ませるってのは(いや、もちろん両者はベーシックに必要な事案だけども)、達成できそうにないことは言うな!とか、口に出したんだったら必ずやれよ!とかジャパン特有の異様な圧とか、あるいは勝手に自分で「もし未達に終わったらカッコ悪い」的な怖れからくる心理かもしれないけど、
人々が半径2メーターぐらいの小さなことしか考えないこの社会はつまらなくなった。それは事実。
いずれにせよ、「絶対ムリだし」的に途方も無いことを自由に妄想したらいい。
ここで大事なのが、「野望」を持つ時に「今年一年」みたいなみみっちい単位は関係ないってことなんだよね。
なぜかというと宇宙に時間はないから、「今年中に達成」みたいな概念すらもいらないってことなんだよ。
その野望は、すぐに実現されるかもしれないし、3年後に叶うかもしれない。
「今年一年にできること」って考えると、意外と小さなことしか浮かばない。「野望」はステップ思考の「計画」とも違うんだよ。
そして野望をセットしたら、その後実行へのプロセスを妄想する、その時に、何を努力すべきで、何を努力すべきではないかがクリアになる。
今以降、ステップ思考はますます意味がなくなる。
まあ、そんな話を具体的に新年会ではしたいと思います。
席、まだあります。
ちなみにわたしは「人生の目標」なんか持った試しがない。
けど、願ったことはたいてい実現されて生きている。この10年間でそれは明白になった。
それはなぜかっていうと、「望んでいないことをやらない」からだと思っています。
とにかく、強く望むこと。
想念は本当に強いパワーです。
それだけに厄介なこともある。
想念スキルって本当に大事だよ!
読んでくれてありがとう!
またね!