オーストラリア旅行、楽しかった話をなかなか書く気になれなかったのは、たくさん報道されている、山火事の件と何かが引っかかっていたから、何を書いていいかわからなかった。
この数日で言いたいことがなんとなく見えてきた。
わたしの行ったゴールドコースト&バイロンベイは幸運なことに(と言うのも相当気が引ける)無害だったから、緊迫感とは無縁だった。
バイロンベイでは明け方まで、町中のバーから歓声がいつまでも引かなかった。ナイフ&フォークにグラスの音、人の話し声、笑い声。わたしの好きな「人が生きている音」だ。なぜかこの音が日本には存在しないように思う。
みんながヒステリックになっても仕方がないから、楽しめる人は楽しむ、というスタンスが好きだ。「自粛しろ」みたいな話はゴメンだ。
しかし、火事の煙はチリやアルゼンチンにまで到達しているという。
オーストラリアの地理に一切詳しくなかったけれど、ゴールドコーストはクイーンズランド、バイロンはニューサウスウェールズ州の北限。
燃えているのは主に、そのニューサウスウェールズ。
そう、この行くまで知らなかった州の名前で「あ、そうか、オーストラリアはイギリスだ」と実感した。
もちろん国旗を見りゃ宗主国イギリスだってことぐらいわかってた。あの強烈なコックニーアクセントがどうにかなっちゃったような豪英語(ほんと聞き取れなかった)も、右ハンドルで左側通行ということも、なんとなく見かける「キャプテン・クック」の文字も、行ってみて初めてわかる「あ、そうかイギリスね」感だった。
バイロンベイはオーガニックな町で、ヨガやメディテーションが盛ん。わたしもアーユルヴェーダのトリートメントを受けたし、クリスタルやエナジーストーン、オラクルカードなどを扱うショップもいくつか見た。
のんびりしていて、「すこやか」で、町にジャンクなものがない。
こんなとこに住んで、サーフィンして、アクセサリー作って売って、のんびり暮らしたら最高だろうなぁ、と思った。
そもそも行く前から、バイロンベイはアボリジニの聖地だったみたいだよという情報を得ていたし、レイライン上にあるとかなんとか、だからそもそもの「気」がいい、つまり振動数が高いらしい、ということは聞いていた。
アボリジニには共感する。
「ドリームタイム」と「ソングライン」。宇宙の仕組みと地上の知恵。
そんな彼らの聖地。。。。
やられた人たちが大切にしていた場所。そもそもそこにいた彼らは迫害され、虐殺された。
わたしは「やられた方」に想いを馳せてしまうから、どこにいっても手放しで絶賛したりできない。
そして現地に、アボリジニの遺構とか足跡を顕彰するようなものを見ることは、ついぞなかった。
ふ〜ん、、、て思った。そういうものは一切なかった。
ゴールドコーストはビルにょきにょき。
ホテルの部屋から見た景色。
左は海岸、町の中に川、遠くに山々が見える。素晴らしい眺め。
そしてここはまだまだ「発展」するんだろう。写真を見たらわかる通り、「土地」があるから。
低層の土地は買収され、いくらでもにょきにょきするだろう。
最近の中華系ビルはデザインも素敵だ。「Jewel tower」と呼ばれているらしい、一見して水晶っぽい。
「昔はな〜んにもなかったところ」が、数十年でにょきにょきし、そして人は前よりあくせくするようになった、と言ってた。
新しくてきれいで、「発展」を続ける町は、どこを見ても「衰退」しか感じられないジャパンから見ると感慨深い。
で、新しくてきれいで快適だけれども、
何もかもが「最近の話」で、町のどこかに「歴史」を感じさせるものがない。「若い国」「新しい国」だから当然ちゃ当然だが、
でも、イギリス以前に人間住んでたよってことは、ここではないことになっているのかしら、ってわたしは考えてしまった。
先住民迫害の歴史を謝罪したのは21世紀になってから(つい最近のこと)。
遅いと思う。
山が燃えているのは異常気象による高温化、極度な乾燥によるものって言う。
現地の元森林保護官(レンジャー)だった人のガイドで森に行ったけれど、
そういう立場の人に言わせりゃ、森林レンジャーの給料は他の公務員よりはるかに低く、過酷な仕事なのに国は力を入れていない。山は手入れしなければ、一度の出火であっという間に火が回ってしまう。。。という「保全の問題」だ。
そういう側面もあるだろう。
けれどやっぱりわたしには「火の浄化」なんだろうな、としか思えない。
それは人類がしてきたことの結果。
何千年も生きてきた巨木たちが、燃えている。なんの罪もない動物たちが死んでいる。
人より動物が好きなわたしは、泣きたくなるからニュースは見ない。
「発展のあと」を知っているジャパンから来たわたしは、にょきにょきする町を見ながら、そんな発展もただのサイクル、ただのプロセス、どうせみんな同じ結果になる、って心のどこかで思っている。そしてその結果さえただのプロセスに過ぎない。終わるものは終わる。強制的にでも。
しかしその先も続くものは続く。
まあ、わたしはどう考えても「世界の捉え方」は現代人よりは先住民の感覚に近い。
そしてこの火災についても、ぎゃあぎゃあ言うのは控えたい。
わたしたちに必要なのは覚悟だけ。
すべてはプロセス。
読んでくれてありがとう!
またね!