オーストラリアから戻って、見事に円柱化していたわたしのボディですが、
あっという間に「まあ、いっか」レベルまで戻した。
ふん。わけもないこと。
デブは早期発見、早期撲滅。これに限る。
ということを、わたしは身をもって知っているの。
だってFacebookが「7年前の今日」の写真を嫌がらせかのごとく叩きつけてきやがって、
「うわ!」と思ったもん。
すげーデブだった。
しかもすごいブスだった。
当時はたくさんの仲間に囲まれて、フツーに見たら楽しそうに過ごしている、かのように見せかけて
(もちろんその時は、見せかけてる、なんて意識はゼロ。それはそれで楽しかった)
それは本当の楽しさではなかった。
今、顔を見たらそれが如実にわかる。
当時は心の中に、ものすごい辛さを抱えていた。
手っ取り早く要点だけ言えば、それは「結婚に失敗したと分かったものの、どうすることもできない」という袋小路。
家に帰るのが辛いから、DNと過ごす時間が嫌だから
わたしは家の外に集中した。
仕事もそうだし、あっという間にできた楽しい仲間もそうだし、
何かと気忙しく、それはそれで充実ではあったけど、家に帰ると最悪な気分になっていた。
わたしのちょっとした「活躍」(あることで新聞数社に取り上げられたこともあった)も、DNはうとましかったらしく
わたしが外でイキイキすればするほど、家の中のギャップに心痛める、、、というセルフ二極化。
結局、結婚後は心からスッキリした心境であった試しがなかった。
未来が全く見えなかったもんね。
そしてわたしは右肩上がりに太っていったし、しかも、それが問題だとすら思わなくなっていた。
本来ならサイズ40(イタリアサイズね)ですらお直し出したりしてたのに、44でもどうなの?ぐらいの激変なのよ。
だけど、問題だと思わなかった。
完全なる麻痺。
しかし何かの拍子に、「自分やばい」と気づかされるようなことがあったのよね。
それも写真だった。
「わたし醜い。やだ死にたい」ぐらいの、自分が自分に衝撃を受けた感じ。
だって、わたしは本来、醜悪なものが嫌いなのよ。それなのに今や自分が「醜悪」そのものになってしまった、と気づいたその衝撃!
それで、とにかく一番効率的で確実な手段を使って痩せることにしたのよ。
そうと決めたら、徹底的にやった。(で、それもまた楽しかった)
・・・なんだかすごい昔のことのよう。当時の自分に、あらためてご苦労様!って言ってあげたい気分。
今、離婚したその同じ相手と、同じ自分が一緒に暮らしていて、そーゆー意味じゃ何も変わってないのよ。
でも、あらゆることは変わった。
今は一緒にいてくれてありがたいって思ってるわ。腹立てたり脱力することはしょっちゅうだけど。
不満だってあるっちゃあるし、まったくよー!と思うけれども引きずらないわ。
まことに不思議なもんよ。
わたしも変わったし、相手も変わったわ。
物事の見方を変えただけなんだけどね。
あ、そうそう、デブの話だった。
不満とデブ化って、ニワトリタマゴで雪だるまでもあるのよ。(しかも雪だるまなら熱で痩せるけど、本物のデブは熱したって痩せないのよ)
体が重いと、やっぱどこか心も重くなっていくしね。
だから早期発見と早期撲滅は鉄則なのよ。
デブでも「リアルいきいきデブ」なら何の問題もないわ。そういう人だって実際いて、やっぱ素敵だもん。
でも「フェイクいきいきデブ」というものも存在するよ、って話なの。
だいたい、顔を見ればわかる。言葉で説明できないんだけど。
大抵のことは顔がすべてなのよ。オバハンになったら特にそう。
ただ、本人は「自分を映す鏡はない」の。自分がそうだったから、よくわかるわ、そーゆーこじれた状況。
だからなんとなく、「太っていたって美しいです」というアレは、半分その通り!だし、半分は違うんじゃねえか?って思うのよ。
ただの体重の問題じゃないの。
てなことを、
Facebookの写真が思い出させてくれた。
写真て、大事だよ、そーゆー意味で。
読んでくれてありがとう!
またね!