昨年末はバタバタとリニューアルをし、そのまんま休暇を過ごして自分の中ではめっちゃ切り替えた感があったものの、以前のブログを閉鎖しないで欲しいと何人かの方からメールをいただいていました。
わたしとしては、以前のことは総リセット!と考えていましたが、ありがたいことだと思いました。
それで、わたしの根本的な主義主張は変わらないけれど、自分の足跡を時々振り返る意味でも役立つことはあるな、と思うようになったので、記事を復元してこちらに移設することにして、最終的に坂ノ下修道院のサイトを閉鎖すればいいんだと気付きました。
特にセッションを受けてくださる方などは、以前に書いてあることを読んでおいて欲しい、というのもあります。我ながらたまにめっちゃいいことを言っているからね(笑)
なので、復元うまくいったものをボチボチ追加していきます。
でもめんどくさいから記事中の写真などヌケてても気にしません。善意で指摘されても直しませんよ(笑)
今年は発信の内容として
「Life and Death(生きること死ぬこと)」のこと
「Love and Life(愛と人生)」のこと
もちゃんと書きたいなと思っています。
特に「死のこと」に関しては、父の死に至る一件で、たくさんの反響をいただきました。
でも、そのプロセス中では、あまりにも書く余裕がなかったので、かいつまんだことしか書いてない。
それでも「文章にしてくれてありがとう」というようなことを言われたので、これはちゃんと取り組む意味があると思っています。
アクセサリーのようにキラキラしたものを売ることと、死について話すことは一見相反するように思われるかも。
でもわたしの中では一切の矛盾がありません。
人はどうせ死ぬ。
どこで生きてもいつか散る(by 藤圭子)
だったら生きている時間をどう過ごすのか。それがその人の選択です。
はっきりいって人生なんてそれだけのことだと思っています。
どうせだったらみんながキラキラするように生きればいい。わたしのアクセサリーはそのお手伝いです。
エネルギーを味方につけたら、その人に必要なものを得やすくなる。
死や病を禁忌にすること自体がそもそもおかしい。
誰にでも付随した話で、誰もそれを避けることはできないからです。
死や病、不調を怖れる気持ち。
それ自体があなたをキラキラから遠ざけています。
人生には「死」も含まれていて、死があるからこそ「一生」は完結します。
また身近な人の死にどう向き合い、どう扱うのか。もう会えない「死んでしまったあの人」について。
それを考えることでも人生のクオリティは変わります。
目を背け続けることでいいことは、実はあまりありません。
それから、もう今後いよいよ「スピ的な話」も「現実的な話」も区分を必要としない世界だと思っています。
正確に言えば、スピも現実も存在せず、あるのは「世界」なのです。
現実(とみんなが呼んでいるもの)だけを見ていても、スピ(と呼ばれているもの)だけを重視しても、結局何も起こらない。
宇宙の真理や魂の仕組みを理解することは必須だし、その上で現実をどう動かしていくのか、対処するのか、ということが基本になってくる。
わたしたちが肉体を持って存在していることの意味をよく考える必要があります。
まーそーゆーことは引き続き書いていきます。
てな訳です。
今日も読んでくれてありがとう!
またね!