ちょっと自分を改めようと思うことがあった。
先日、ある友人から「お金が回らない。どうしよう」という相談を受けた。
融資してくれということではなく、「この状況をどうしたらいいのか途方に暮れている」という相談だ。
この人には、過去にも、お金のことで何度か相談されたことがあり、大体の状況というか、傾向は把握していた。
お金に対する考え方の根本的な「何か」が、ちょっとズレていることも知っていた。
彼女も個人事業主、たった一人で頑張ってきた人だ。だけど、その大変な労力に対して、利益がほとんどないと言う。
女が一人で生きていくのは大変だし、相談を受ければ、そりゃ親身になって話を聞いてしまう。
明らかに今のやり方でうまくいっていないのだから、やり方、考え方を変える必要があるよね、と話し合った。
かなり具体的なアイディアと、どうしてそれをすると効果があるのか、詳細に説明もした。
2時間かけて。
「話しに行きたいけれど、今の所持金を考えると電車賃すら使えないので」という理由で、オンラインで話した。
彼女は「気分上がった。ありがとう。納得した!」と言い、やってみる、と言った。
わたしは「2時間かけて説明したんだから絶対やってよw」と冗談めかして言ったが本心だ。
別にわたしの言った通りにやれ!という司令ではない。
そんな困っている話を二度と聞きたくないから、
彼女がその困った状況から抜け出すためのトライをするなら、という前提でわたしは話した。
でもやっぱり、彼女は何も変えようとしなかった。
わたしからはもう何も言うことはない。
今日になって、彼女から、その件に関してあまりにも「ポカン」となるメッセージが来て、
つまり、彼女にはどうしてそれをやる必要があるのか、理解されてないのだなとわかった。
わたしが費やした時間は無駄だったと悟ったし、二度と彼女のお金の相談に乗ることはしない、と決めた。
言いたくないが、わたしも個人事業主で、やることは死ぬほどある。
人のために時間を割くということは、自分の時間を犠牲にするということだ。
冷淡な表現だが、事実だけを言えばそういうことになる。
で、わたしには何の「見返り」もない、と気づいたから、もう、そういうのはやめよう、と決めた。
この「見返り」について誤解している人というのが
「うまくいかない人」の中に多いのではないかとふと思ったので
自分の整理のために書いておきたい。
見返りとは、何も金銭(だけ)のことではない。
わたしならこう考える。
自分の「困った状況」情報は、基本的に相手に活力を与えるものではない。(これ基本!)
そんな話のために「相手が自分のために(無料で)時間を割いた」ならば、
その時間が無駄になったと感じさせることほど相手を消耗させることはない、と。
つまりそれは相手に「損失」を与えるのと同じことだ。
でも仮に、わたしが相手にお金を払っている場合、わたしは相手の時間をお金で買って話を聞いてもらうことになる。
であれば相手の損失は少ない。(場合によってはお金をもらっても、できれば勘弁してほしい話だってあるだろう)
話を聞いてもらっただけで満足な場合、ここでおしまいでもイーブンだ。
で、その買った時間で受けたアドバイスでわたしがアクションをとれば、さらにわたしの「利益」になる。
この「利益」とは、アクションによってできた「経験」という事実だ。
アクションの結果うまくいったにせよ、うまくいかなかったにせよ、それは「経験」になる。
「その経験」を自分ができたなら、自分はその経験をどのようにでも活かすことができるわけだから、いずれにせよ利益だ。
で、うまくいかない人というのは、
自分が受け取ることしか考えていない人が多い、ように思う。
トライをしないから経験値が増えない。
よって、自分のリアルな経験をもとに人にアドバイスを与えることもできない。
つまり人に還元することがなく、
いつまでも「困ってるんです」(ネガティブ情報)しか人に与えられないことになる。
「こうすればうまくいくよ!」
という情報を、人からはもらいたがるけれど自分は与えるという発想を持っていないようにも思える。
この世は持ちつ持たれつ。
出さない、与えないのだから、当然循環するわけがない。
お金っていうのは、人間関係と深く関わる「循環」で成り立つわけだもの。
「見返り」とは、つまり、そのような還元のことでもある。
何かを生み出すために、人はトライをし、そこで成功パターンを掘り当てられたら、その情報を相手に還元できる。
何もトライしない場合、何も還元できない。
実際のところ、
わたし自身は今、お金に困っているわけではないし、お金をくれなきゃ話さない、などと言う気はサラサラない。
だいたい、いつも言っている通り、お金はわたしの行動のモチベーションにはなりにくい。
だけど、このように還元する発想のない人(ほとんど無意識だと思う)には
こちらから与える一方になるだけで、「うまくいったよー!」の笑顔(最大の循環)も、
わたしが欲しい有益な情報も絶対に得られない。
このタイプの人は、事情があってお金は払えないけど、商品情報をシェアする、とか、合いそうなお客さんを紹介する、とか、
現金以外に「こちらのなんらかの利益に繋がりそうなこと」を考えてくれる、などということもない。
要するに
「持ちつ持たれつ」が成り立たない。
これを続けていくと、しまいにゃこちらは枯渇する。
・・・・・・ということに気づいたので、
この経験はわたしにとって利益なのだろう、と思った!
でも、念のため言っておくけど、彼女のことは好きだし、陰ながら応援もするし、ちーーーーーーっとも悪いと思っていない。
ただ、もう、お金や仕事に関して、わたしは相談に乗ることはない、と決めただけ。
そんなところに、この記事が飛び込んできて、最後まで読んでしまった。
しかし、ここで断言しておきます。
お金のブロックという具体的な何かはこの世には存在しない、と。お金が稼げない、お金が貯まらない、お金に愛されないということには、
確実に、この世的な、現実的な理由があります。
そうだよ。そうだと思う。
それで、改めて心に決めたことができた。
それはまた今度!
読んでくれて本当にありがとう!
またね!