日々ユーザーからいただく驚くべき報告を見ていると、ただのオブジェであるマリアグリッドが、もはや一体なんなのか、はっきり言ってわたしにはわかりません。
これからもわかることはないのではないか、と思っています。
そして最近は、わかる必要すらないのではないか、とさえ思っています。そもそも「定義づけ」に興味がないし。
わたしは他の能力者の方々のように、エネルギーが「見え」たり、「交信」したり、「伝え」たりという能力を一切持ちません。
ですからそういう検証が必要であれば信頼できる方の力を仰ぐことになります。
ところでわたしには、こういった(どういった?)世界における「師匠」がいません。だいたい自分はどんな世界に所属しているのかも、はっきり言って非常によくわかりませんが。
とにかくわたしはいわゆる「スピ業界」の人間ではないと思っています。ただのクリエイターですから。
それに、どちらかというと「どの世界にも属さない人」にシンパシーを感じてしまうのです。
ツラツラ考えたらいわゆる実社会に於いても師匠というものをただのひとりも持っていないことに気づきました。仕事を教えてくれた人、というのも思い当たりません。(ましてや人生に関しては、人間より、猫の方が遥かにたくさんのことを子供のわたしに教えてくれました)
どういうわけだか師匠を持てないし、また持つことを必要と考えたことも一度もなかったな、、、、、と今振り返って「へー!」というイミフな気持ちでいます。
師匠がいると便利なことはあるのかなと思います。これは師匠のお墨付きだからと言えば、その師匠が高名である場合かなり有効なことでしょう。
ただ、わたしにはそういう存在がいないせいか、師匠を持つ人をどことなく気の毒というか、不自由なんじゃないのかなと思ってしまう傾向はあります。
そんなわたしですから、人の名を借りて何かをすることはできませんが、何をするにも誰かの承認を得るとか、許可を取るとか、周囲と歩調を合わせるとか、根回しするとか、人の機嫌をとるとかということが、そもそも発想になく、めんどくさく感じてしまう自分にとっては、思いついたことを思うままに、好きなようにできる「身分」が気に入っている、というより常にそれが「普通」でした。
ですが世の中にすごい方はたくさんいて、そのような方々のお話から自分なりに考えるヒントをいただくこともありましたし、例えば鎌倉で仲良くしていただいているお坊さん方からは座禅や真言を、ある方からは三位一体についての深い考察を、ある方からは空海と鉱物の考察を、ドルフィン先生のような方からは、それまで未知であった「振動数」という概念を徹底的に理解させていただきました。
どの情報もわたしのジグソーの大事なパーツではあります。
金子浩一さんは、そんなわたしにとって本当に心地の良い、もしかしたら唯一の理解者だと感じていました(います)。
最初に会った時から「あなたはそれで良い」と言ってくれ、「とにかく創作活動をやってたらいいんじゃないですか」と言われたことは、当時まだ片手間で、「これからはこれだけやっていこう」などと決めていなかっただけに、驚きましたが結局そうすることになりました。
自分に問題が起きた時、あまり多くを、というかほとんど詳細は何も伝えなくてもすべて見通してくれていることによる多大な安心感と、仮に言葉足らずで書いた文章でさえ真意を読んでくださり、よくシェアしてくださいました。それによって当時の「坂ノ下修道院」を知ってくださった方々もたくさんいると思います。
信頼が決定的になったのは、一昨年のフランス滞在後、医者でも誰でも解決しなかった心身の絶不調を、たまたまお会いしたら一発解消してくれたこと(まあ後から考えれば「たまたま」などということはないわけですが)。
その際にヒントをいただいた、わたしの魂性質の「由来」、つまり集合意識をキャッチしてしまう体質や、前世から持ち越しているわけのわからない複雑なあれこれ、そしてもちろん最大の課題であった実家の土地問題(と、それに付随した母親との問題)について、相談すれば必ず解決の糸口を紐解いて、励まして下さったことに対してわたしは多大な恩義(という言葉は好みませんが、それしか思い浮かばない)を感じています。
が、それでも金子さんはわたしの「師匠」ではありません。
というのは、人の在り方について、自由というものについての根本的な考えが、ほぼ(たぶん)同じですぐに共有可能だったからで、教えてもらったという感覚はないからです。
また彼の「凄い能力」はわたしにはなく、そういう意味では彼の活動のお役に、わたしは一切立ちませんでした。それどころか、「あなたはわからない。人の霊的操作を一切受け付けない」と言って不思議がっていましたが、わたしにはそれがどういう意味なのかすらわからずポカンとして終わりでした。だから今も早く教えて欲しいと思っています。
まあそんなわけで、いろんな凄い方に出会いましたが、結局のところ自分がいちばん確信を得ているものは、「この自分の感覚」以外にありません。
これは誰も保証しませんし、お墨付きも貰えません。
けれどわたしはやっぱり、自分の中だか外だかどこから来るのかさっぱりわからないけれども、「自分が確信を得ているもの・こと」に関して確信を得ているのです。
そう考えるとわたしは自分を非常に信用しているようです。
わたしが確信を得ているもの、に関して、他の人にはわからないでしょうし、懐疑的な方もいるでしょうし、批判的な方もどこかにいるのかも知れませんが、わたしにも説明ができませんし、人はそれぞれ。
その方々も同じようにご自分だけが確信なさっているものを確信されているのでしょうから、それが普通のことだと思います。
議論も一切関心がありません。
わたしは静かに、確信しているものを確信し、良いと思う行動をとるだけです。人間、誰しもそうなのだと思っています。
ひとつだけ思うのは、わざわざ肉体を持って行動し、感情を持って喜怒哀楽を味わうという機能が標準装備されているのが地球であれば、何にせよ自発行動はせず、自らの価値判断、自らの責任で動く人間に対して非難を浴びせ、相手の振動数を下げる行為にどれだけの意味があるのかな?ということです。
しかし、行動しない、ということもひとつの行動ではある、のかも知れませんからきっと意味はあるのでしょう。何にせよ、その人が幸せを感じられれば、それがいちばんですし、その人個人が本当に幸せかどうかはその人にしかわかりません。
話が長くなりましたが、マリアグリッドが何であるかはわからないものの、わたしの人生最大の課題を瞬間的に解決しました。
よってわたしには問題が何もなくなってしまいました。
またこれを、スピリチュアルな「わけのわからないグッズ」などと言っていただくのは自由ですが、そもそもわたしはクリエイターである限り、自分の手で生み出したものを自分で売ることに喜びを感じています。そしてその商品を手にしてくれた人たちがハッピーで、喜んでくれることが何より嬉しく、甲斐を感じています。
アクセサリーを作り、売り始めた当初から、「すべての女性を本来のキラキラした存在に戻したい」と謳っていましたし、実際、それが願いです。
これはオブジェであり、今のところわたしが生み出したものの中で最高の価値を感じています。
なにしろわたしの人生最大の課題を解決したのですから。
そして、購入者の各々方みなそれぞれに、効果というか恩恵を実感しているようです。
で、わたしは勘違いしたりしない。
すごいのはグリッドを通してもたらされるものであって、わたし自身ではありません。
本日もとりとめもなく。
読んでくれてありがとう!
またね!