今日は(今日も)言いたいことが山ほどあって、何から書いていいかわからない。
今日、朝起きたら、春だった。暦ってすごいなあって思った。
とりあえず春分でございます。おはぎ買った。
お彼岸中日でもあるので、お墓に行き、実家に行き、宮尾のお墓に父の好きだったノースポールとミヤコワスレを植えてやりました。
庭では冬を耐え抜いた木々草花から新芽が出てたり、鳥がピーパーやかましかったりで
春だな〜と感じました。
実家では、明日お友達のババア軍団が集結するらしく、母はキャッキャと準備していた。
母は完全に陽気で愉快な優しいオバハンとしての姿を取り戻しており、あの過去の日々は一体なんだったんだろう、、、、ともはや遠い日のことの気がする。
人の「オリジナル人格」なんて、本当〜〜〜〜〜にわずかな要素でしかない、という実感だよ。
返す返すも、ありがたい。
去った日のことはナシにできるのが血縁の素晴らしさかも知れないけれど、思い出して不愉快になることは一切ありません。
いや、多分どんな関係性においても、
いや、違う。むしろ、血縁だからこそ「思い出しても不愉快になるほどの強い体験」があったのじゃないか、とも思う。
いや、わかんない。
すべてわかりません。
とにかく、コロナ的な世の中で、何が心配って「高齢の親」なわけですが、
以前だったら「心配はしているけどコミュニケーションが取れない」という状況になっていたわけで、
それはかなりな勢いでわたしのマインドを密かに蝕むことになっただろう、と思う。
そうなると100%ヒャッハー!なわけではなく、ちょっと無理のあるヒャッハー!
いわばフェイクヒャッハー!であるわけで、、、、
今後はますますフェイクなもの、作ったヒャッハー!(ヒャッハー!に見せかけている状態)などは意味がないどころか自分を苦しめるだけなので
本当にすべて解消されてよかった。
人って、課題の出どころはほぼすべてが「親子関係」と言っても過言ではないし、
いちばん近い存在、切っても切れない糸(縁)がもつれていると、他のところどんなに修正しても、むしろすればするほど、
そこのもつれが強調されることになると思う。
いちばん近いところ、つまり親やパートナーとの「円滑な関係」は、どうしたって取り組まざるを得ないポイント(人類最大の課題だから)で
そこに慈愛を見出せずして、地球全体や宇宙全体の慈愛(恩恵)をMAXに受け取れるのかは結構な疑問だった。
だってつまり「人類愛」の基本だもんね。
親が死んじゃってる場合とか、離婚してる場合とかでも、
別れた相手のことを、少なくとも憎んだり恨んだりすることなく(積極的に愛する(地上的な意味で)ということじゃないよ)
その人の選択を祝福して、ご多幸を祈る、みたいな気持ちになれるかどうか、っつーのはそれなりのハードルだ。
まーとにかく、よかったよかった。
ちなみにさー、マリアグリッドって、ユーザーから聞くのは必ず「家族の円滑化」なんだよ。
どういうわけだか。
すごいよな〜って思う。。。。
お墓詣りでは、父を含む先祖一同に
母は今いい調子だから、しばらく人生を楽しめるように、お互い全力を尽くしましょう、と言ってきた。
「あなたたちはそっちで!わたしはこっちで!力を合わせましょう」てな具合。
「力を合わせる」は今年以降のキーワードだと思っている。
その結果として、夢は夜ひらく。
てな具合。
読んでくれてありがとう!
またねー!