赤く咲くのはケシの花。
白く咲くのは百合の花。
そう。
百合子。
今日は百合子の会見を、生まれて初めて
ワクワクしながら
待っていたわけですけど。
「わたくしの都知事としての権限のもと、政治家生命をかけてみなさんの健康を守ります。
東京を封鎖します!ロックダウン(流暢風な英語で)です!」
とかなんとか。
わたしの脳内の百合子は確かに、そう言っていた。
けど実際の百合子は、
そんなことは言わなかった。
「よいこのみなさん、夜遊びはダメですよ!」
ぐらいの話。
かなり、ひっくり返った。
いや、あの一切の緊張感を伴わない「余裕」に、ひっくり返る意欲すら起きなかった。
ただただ、脱力した。
この国って、、、、、すごい。
いやー、最近思うんですよね。
うちのオトーサンは立派だった。何しろ、とにかく、いい時に死んだな、って。
しみじみ流石だなーーーーって、思うんですよ。
あの、究極的な状況が、「ナウ!」だったら、と想像するとクラクラする。
間違いなく、ワタクシ一家は崩壊してた。オサナイ家全滅の危機。
そして、もしオトーサンが生きてたら、
今日の百合子で、激怒して死んだ。
間違いない!
・・・しかし、あれで脱力したということで、
わたしはまだ、百合子(いえ、政治そのもの)に何かを期待していたのか!と、ハッとさせられましたよ。
もちろん、わたしは自主的に、セルフ戒厳令で1ヶ月ぐらい過ぎてますけども
ロックダウン宣言してくれないと、DNとか会社行っちゃうわけですよね。
ほんと、やなんですけど。
・・・・しかし、
この国。
誰一人として「権限」を持っていない。
NO ONE HAS ANY VOLUNTARY KENGEN!
小さなところから大きなところまで、誰一人。
改めて、すんげーことだと思いましたよ。
ある意味、キムの国よりひどい。
キムの国はキムだけに権限があることが公になってますから。
本来、女は、「生命の危機」に対して、敏感さを持っている。
生命を守るためには、男とは別な勇敢さを示すことができる。
でも、この国で「椅子」に座ったら、女は、そんな自らの生命線さえ断ち切るようになってしまう。
そこに、すでに女としての価値はない。
百合子、あなたはこの国の全ての「椅子に座った女」の代表。
女の顔をしたおっさん。
翻って、何かに属していない身分、
そう、わたしのような身分。
この身分にある者だけが、自分の行動に対する権限を持っている!
ということが、明々白々としてきましたよ。
何においても
自分の権限で自由にできる!
少なくとも、このKaorissimaのようなマイクロ商売において
全てわたしだけの権限で
できる!
ということが、どんなに得がたい喜びであるか
しみじみと感じ入りましたよ。
例えば、この風潮に嫌気がさしているから
むしろ
超高級マスクを売ってやろう!
5万円のマスク、8万円のマスク、20万円のマスク
とか。
はぁ?????誰が買うの?バカじゃねえか?
みたいなこと。
まったく意味もへったくれもない思いつきでさえも
自由だ!!!!!!
どこにも需要がない商品
需要や、相場や、実用性などから
完全に解放された商品
面白がって買ってくれる奇特な人がいたらウケる!!!
みたいなもんを作ったっていいじゃねえか!!!
という気に、ますますなってきましたよ。あらためて。
そして真剣に考えたら、
5万円のマスクぐらい、割と簡単に発想できる。
20万のマスクも、考えたら意外と簡単だった。
なんだ!そーゆーことか!
って、思いましたよ。
百合子のおかげで、
わたしはまたひとつ、発想の枠を越えられた。
百合子ありがとう!
何かのポストを目指す女に、一切の自由はない。
何かのポストについた瞬間、「真の喜び」などない。
何をやっちゃってるんだろう、そんな椅子に座って。
・・・・それを逆説的に、我々に教えてくれたあなたは偉大だ。
ま、そんなマスクはやりませんけど(今んとこ)。
ただの例ですよ。
あ、でも、本当にアッタマきたから、意味不明にやるかも知れない!
しかしわたしは言いたい。
みんな!
自由であるということは本当に貴重なこと。
心のマスクを外して、発想の翼を広げるんだ!
とかなんとか。
ポストコロナはそういう時代だと思います。
ついでに、ポストコロナは、
人が自由に国籍を選べる時代になったらいいとも思います。
そう言っちゃなんですけど、どの国も人口が減るわけですから、「空き」はできるわけですから。
ジャパン国籍にこだわりたい人だけが、残ればいいんじゃないでしょうか。
そんな夢は夜ひらきますでしょうかね。
読んでくれてありがとう!
またね!