こないだ、ノートルダム火災の際の消防士の動きを描いたドキュメンタリーを見た。
オンデマンドで27日まで見られるから是非どうぞ。
思うところ大にして多岐に渡るが、その話はともかく、今わたしが感じている、世の中と自分との間のさまざまなギャップについて改めて感じるところがあった。
言うまでもなく、ノートルダムが焼けた時点で「古い時代の終焉」と受け止めたわたしにとって、
その後あらゆる「社会的変化」、つまり経済や産業構造を含む人の在り方や生き方の変化は、当然来る大津波のようなもの、
それを見届けて次の世界に進むか、あるいは大津波にのまれるかのどちらかしかないと腹を括っていたわけで、
それが「どういう形でもたらされるのか」ということだけが興味深かった。
だから、ナウこのパンデミックは、「あ、来るものが来たな」ってことで、当然、もう古い世界には戻らない、という前提でいるし、
これを皮切りに何でもかんでも起きちゃうよ、じゃあ、何が起きるのかな、というヨミはある意味楽しいわけです。
情報にひと踊りさせられたなと感じてシラけた、というプロセス(しかし大切なプロセスだった)を経て、今はのほほんという気持ちに戻った。
「だって、わかりきってたことじゃねーか」と俺2号に言われて「あそっか」、という感じ。
だけど、多くの人、世の中の9割以上の人は、この経済や産業構造が変わることなど、多分1ミリも
リアリティを持った想像
をしていなかったんだろうなあ、、、、
ということに、最近気付いた。
このギャップ。
会社でも組織でもなく、自分「だけ」の力で、何ができるのか、何ならやれる、やれそうなのか
あるいは自分は何が本当は得意なのか、本当に好きなのか
そういうものを早く探り当てて、なんでもいいから着手して、どうにかカタチを作っておくべし、と
ずいぶん言ってたし、時々書いてもいたけれど、
それでもたいていの人は、そんなものを探ったりしなかった。
「会社員だから」「主婦だから」「子供がいるから」「やったことないから」とかの理由で。
今からでは遅すぎるケースもあるかもしれないけど、
それでも、まだ間に合うことだってたくさんあると思うから、一刻も早く探り当てるべし、だとやっぱり思う。
で、それは今から資格を取ったり、習いに行ったり、ましてやスピ系高額セミナーとか
そんなことでは一切、ない
ような気がするよ。そんな時間はもったいない。
今すぐ、あるもので、直ちにできること。
我流でけっこう。「始める」ということが大事。でも、始める以前に「とにかく自分の中から探り当てる」が先。
まーしかし、こんな状況にあって、なんとなく見ていると
「新たな世界」の輪郭が見えるまで、の期限付きとはいえ、自分の行く道を進むタイプと
ただ不安にかられて情報の中でうろうろしているタイプに二分されているように見える。
後者は不安を「社会正義」にすり替えて怒ったり(怒る矛先はどこでもいい)、不安と折り合いをつけられずに精神バランスを崩したり(その際たるものはDVなどかもしれないが)、気持ちの納めどころを知らないというか、見当もつかないような状況なのだろうと思う。
もちろん、不安を抱えていることが悪ではないし、不安があることを隠す必要もない、吐き出すことも必要だけれど、
世界は今、「淘汰」の憂き目に遭っているから、当然ながら後者は淘汰される側の階段を上る速度が早いだろうと思う。
不安の原因を突き止めて、そこから自由になれない限りは、だ。
このパンデミックは、産業構造を根本的に変えるはずだから、「今(という過去)安定している職」が明日安定しているかなんて、誰にもわからない。
「安定」を基準にものごとを考えてりゃよかった時代は去った。
で、わたしがこんなことを言っているのは、わたしのしていることが「安定」しているから、「安心」なのではなくて、
どうなるかさっぱりわからない未来世界とは逆に
自分のことはよく把握しているから、だ。
そして少なくとも、どうにもならない事象のことを考えて振動数を落とすより
「自分の好きなこと」ばっかり考えてりゃハッピーでいられるから、だ。
さらに言うと、
わたしは自分が好きな社会、受け入れることができる世界と、絶対に受け入れない社会を常にシミュレーションしているし
もし、万が一後者になったら、「そんな状況で生きる価値がない」と強く思っていて、
ちなみにそんなのはパンデミックは〜るか以前からの長年のシミュレーションだから、相当長い期間、強く思っているわけで
さらにわたし自身の「願ったことはほぼほぼ全てにおいて実現されてきた」という実績値を鑑みれば
生きたくないと思ったらうまいこと死んじゃうようにできていると思っている。かなり真剣に思っている。
神が、わたしが望まないことをわたしに与えるわけがない。
そう思ったら、まあなんかバカバカしくて、真剣に不安なんかを持ち続けていられない、ということに気づいたから、というのもある。
>>続く