まーこの1週間ぐらいで、わたしの中でコロナは「完全に終わった話」になってたから、
テレビつけて「あそっか、まだやってたんだ!」てな具合でかなり本気でビックリした。
もう3年ぐらい経過したかのように感じてるんだわよ。
「アマビエ」とか「あべのますく」も、なんかすーごい古いネタにしか感じない。旬をとっくに過ぎた鮎、みたいな感じがしてるのよ(しかも養殖の)。
養殖の鮎って不味いよね。ギトギトしてさー。
なににつけそんな感じ。面白いよね、時間の経過って。
この「感じ」から言えるのは、1日=24時間なんてゆーのは、単なる便宜上の単位に過ぎないわよってこと。
ほんとはそんな「単位」なんかで流れちゃいませんよ、って話だからこれ。
見たこともないアマビエなんかよりオバハンの方がよっぽど大事だっつーの。
と思ってたら、いきなりオバハンドレスの広告がきて、参ったわよ。すべてお見通しですか。
でさー、そんな調子だから、ブログもさー、もうどういうマインドセットでやってたのかわかんなくなっちゃったの。
いや、別に特別なマインドセットがあったわけじゃないんだけど、この「ブログさんとの対話」みたいなもん?がさー、なんかどーゆー調子だったか、さっぱりわからなくなっちゃってんの。
完全に何かがリセットされちゃった。
ますます、わけわからない次元に存在しているワタクシだよ。
ちょっと、いろいろと脳内にあるんだけど、もうどうしていいかわからないの。左脳が働いてないのかもね。ぽか〜んだよ。
あ、コロナか。
もう俺の中で完全にわかったわ。カタがついたの。
ジャパンでは、例のバカっ早い通信網が本格稼働してからの報道が見ものだなって思ってるけどね。
ま、見ものって言ってもさ、だけど今さら別に、、、、、ねえ?
だけど報道というもんはもはや「オフィシャルな」メディアだけじゃないからね。
新聞テレビは信じるなってゆーのもすでにふたむかしほど前の話じゃないかしら。
要するに「信用できる情報」というものの定義が完全に変わった(過去完了形)わけで、
それはすなわち「信用」って何をベースにして信用たり得るのかって話だわよ。
そこらへんはもう、個々の人生哲学に大きく依存するわけでさ、これ結構重要な話だと思うよ。
結局、もうそこはさー、ひとつにまとめる、なんて無理じゃん。
「オフィシャルなエビデンス」が好きな人はそれを信用すればいいし、人の意見に左右される人は左右され続けるしかないし、多くの人の意見を聞いてからじゃないと判断できない人もいるし、「希望」が好きな人は「希望」を求めた情報を探すわけだから、危機的な情報は全て深層心理で否定するよね。
それはもうさ、みんなそれぞれの人生、今まで生きてきたなかで形成されてきたものでさ、
コトここに及んで、いきなり養われる「嗅覚」なんていうものはないと思うよ。
すでに、もうわたしたちは個々のタイムラインというか、それぞれのパラレルワールドに生きているのと同じなのよ。
「正しいのはこっちだ!こっちに進め!」的な旗振り役とかはもう、意味がないの。
旗振り損でもあるしさ。
それにこんなオバハン↓がいたら、逆にもうやばいよって話でもあるわよ。(示唆に富んでます)
ツーわけで、わたしの言うことを誰も信じる必要はない。1ミリも。
元からそうだし、もはやもう、世の中と自分の乖離が決定的になってしまったから、誰に向かって何を伝えたいのか、もう、わたしにはわからないの。
今回のコロナで危うく自分も濁流に呑まれるところだったし、あっという間に人々が流されていく様をこの目で見たわけだからね。
そーゆー意味でわたしゃ、ふとした流木にしがみついて川岸にたどり着いて、陸に上がったカッパ、ツーような気分。
俺はそっちには行かないよー!だ。
陸に上がれて良かったわ。
すべて正しい振動数のおかげ。飽きっぽい、という天から与えられた特性のおかげ。
飽きるってことは、何かを感知して正気に戻り、それ以上突っ込まないっていう才能よ。
安定した振動数をキープする日頃の訓練(爆笑)の賜物。
ツーわけで、わたしにできることは、振動数がいかに大事かっていうことをベースに
変わらず楽しいエネルギーに満ちたアイテムを提供することと、自分の考え方の話をするぐらいなんだよなー
ということぐらいだわ、と改めて気づいた昨今、だよ。
んなわけで、話したいことがあるバーイはセッションでも申し込んでくれたら嬉しいです。
読んでくれてありがとう!
またねー!