自宅軟禁自粛要請解除となって、飲食店はチラホラ営業を再開し始めました。
昨日、ある方にお誘いを受けて、ランチをご一緒するのに出かけました。
その方のことはFB繋がりで、考えたら以前金子さんの会でお目にかかったことがある、というご縁で。例のノートル・ダムのクロスを買っていただいたこともありますが、親しく知ってる方ではありませんでした。
とにかくまあ、葉山のそのお店が再開したのを知らなかったから、気分転換に行ってみよー!と軽い気持ちで行ったわけです。
で、なんやかやおしゃべりしていたら、急にマリアグリッドの話になり、え?という流れでお買い上げに。帰りにお立ち寄りいただき、1セットお渡ししました。
結果的になんだかまるで、そのために再会したような。。。。。
いや〜、いつも思うけどこーゆータイミングって不思議だわー
マリアグリッドは必要な方のところにいくようにできているから、今回もそういう巡り合わせだったのでしょう。その方のもろもろが解決されるよう、祈ってます。
まあ、でもね。。。。。
その方自身、「あれもこれも手を出しすぎて何が何だかわからなくなってる」とおっしゃっていましたので、直接きちんとお伝えしたのですが、
スピ系のことって、「あれもやったこれもやった→でも解決しない→だから新しいのに飛びつく」みたいなスパイラルを繰り返すケースって、わたしから見て決して健全とは思えない。
そういうスパイラルから抜け出さないと、結局は何も解決しません。
特にあなたは何者でなくても、問題があろうとなかろうと「100%別にいいじゃん」なのです。
徹底的に今の自分を肯定してくださいって思います。
それにこれは過去何度も書いてるし、説明が非常にめんどくさいので丁寧には書きませんけれども、でも念のためちょっと書く。
物事なんでもそうですけど、外部要因と内部要因って両軸だと思うんです。どっちかだけなんてあり得ない。
ま、そもそも言えば、わたしは「スピリチュアル」という言葉の定義がよくわかりませんし、定義づけようとも思わないし、それゆえ自分がそのカテゴリに入っているとも思えないし、カテゴリ自体がどうでもいいのです。
そう、なんでもカテゴライズしようとすると「定義」の問題に行き着きますよ。定義が発生すると厄介ですよ。定義の奴隷になりますから。
要するに、人が生きるということは、目に見える世界と見えない世界の狭間で過ごすこと。
で、見える領域のことには、見えない領域が深く関わっています。これはもう、今までチョロチョロ書いてきた、わたし自身の経験から確信を持って言っています。
しかしながら、見えない領域もまた、見える領域でのことが関わっているわけで、そこは考慮しない人が多すぎると思う。
わたしの実家の土地の件を言うまでもなく、実際に霊的な問題によって人の人格や健康、関係性などに影響を及ぼすことは事実です。
霊的な話ではなく、単にエネルギー的な問題で(まーそーゆー意味では霊的なものもエネルギーですが)で体調に影響があることも事実です(例えば、わたしの気圧変化による偏頭痛などがそれ)。
エネルギーといっても、レベルというか次元の低いものから高いものまでいろいろあります。
で、そういういわば外部要因を除去すれば、水が流れるごとくスッキリと劇的に変化することがあるのも事実です(わたしの母の件はそれ)。
でもね、
だからと言って全ての解決を「外部要因の除去」だけに求めすぎてませんか?って思うことも多い。
エネルギーを上げたらたくさんお金を稼げるようになるんですか?
エネルギーを上げたら人間関係が円滑になるんですか?
違うでしょ、どう考えても。
お金を稼ぐようになるには、そもそも何らかのサービスなりスキルなり時間なりを提供する必要があります。
人と上手く接するようになるには、会話力だったり距離感だったり、人の話を聞く力だったり、基本的なコミュニケーションを知っておく必要があります。
だけど、そもそもそんなにたくさんの人に理解されたり、上手く付き合う必要があるんですか?そもそもどうして人に理解を求めるんですか?そもそもあなたは人のことをそんなに理解できますか?
そもそもなんでそんなに「普通」から外れることを心理的負担に感じるんですか?そもそも自分が「劣っている」と思わせているものはなんですか?
この「連発そもそもドリル」。果てしなくドリルダウンしていく先にしか、本当のことに気づきません。で、割とどうでもいいことに引っかかってることを突き止めるのです。
エネルギーを浄化して起きることは、そういう自分本来の姿や力を表に出すのに躊躇していた、自分の中の何らかの課題やシコリが「なんだ、あほくさいことにこだわってたな」みたく、小さなことに思えるとか、そんなことです。本来どうでもいいことをどうでもよくないことにしていた自分に出会う、というか。
内部要因は肉体を持った自分自身にしかできないそういうことであって、外部要因は見えない存在で、サポートがあるとしたら、行動した先の「後押し」だったり「ひらめきやアイディア」だったりです。
内部と外部は入れ子の関係でもあるし、鶏タマゴでもあります。
内部に気づけばエネルギーは得やすくなるし、エネルギーを上げれば内部に気付きやすくなる。
人生に起きることって、なんでも学びの要素だと思う。
すごい失敗をしたり、やな目に遭ったりすることが「悪いこと」だと決めつけている限り、何度でも似たようなことは起きる。
例えば家庭内やら人間関係がうまくいかない、という課題があったなら、スピ的な解決ばかりを求めず、自分を振り返ることはすごく重要だと思っています。
やなこと言われた!と嘆くより、相手がそういう言葉を言ったことの背景には、どんなことがあったのだろう(相手は何を理解して欲しかったのだろう)とか、自分の願望あるいは負の要素を相手に投影してなかったかな、とか、いろんな角度から事象を俯瞰して見ること。
それから常に自分の問題ばっかり話す人に、いいことが起きるわけがないし、愉快な人間関係が築けるわけがない。
当たり前です。「やなこと」を考えてればやなことばっかり起きるし、だいたい相手に「楽しい話題」を共有したいという気持ちを削ぎます。その人とは楽しい話ができないな、と思ったら、楽しい話をしたい人は去って行くでしょうし、「やなこと」とか「問題」による共感を求める人が寄ってくるかも知れません。
また、「自分を見つめる」は自分をカテゴライズして満足することではありません。
カテゴライズ(ラベリング)によって一時的な安心感は得られるのかも知れませんが、根本解決ではないです。むしろただのコンフォートゾーン入りですから。
ラベルを外した自分自身そのもので、キャッハー!を見出してください。
確かにマリアグリッドは、一言で言えば空間情報を除去します。
自分の中に明らかなクリア感を感じるユーザーもたくさんいる。
でも、クリアになったら、あなたはどうしたい?
「問題がなくなった。ラッキー!」だけで終わるとしたら、当然別な問題はやってくるんじゃないでしょうか。
で、「クリアなあなたはどうしたい?」は、大したことじゃなくて良い。
特にやりたいことがなくてもいい。
でも今まで自分には不似合いだと思っていた、赤いワンピースを買ってみる。それを着て人に会ってみる、ぐらいのことはできるでしょう。
ええもちろん比喩ですよ、そんなこと。
まーそういうわけで、
わたしはマリアグリッドによって「最後の最後の課題」を解決できたけれども、そこに行き着くまでに非常に多難な道のりを通りましたから、
どの道を端折っても、たどり着けなかっただろうなと思うし、
単に「マリアグリッドを持てばあなたの問題全て解決します」なんてことは、口が裂けても言いたくないのです。
長くなりました。
読んでくれてありがとう。
またね!