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踏めばいい。踏めば変わる。踏めなかったのは遠い昔の話


先日のリトリート(マリア合宿)のお話もたくさんしたいところですが、その前に出雲の話もしていません。

けれどわたしはどんどん前に進んでいます。時間がいくらあっても足りない。ブログに向かう時間がない。

でも、今日は絶対にしておかなければいけない、多少の勇気を必要とする話を書きます。

 

7月の始めに、北鎌倉に紫鯨亭なおさんを招いてワークショップをした時、わたしの中にあるひとつの感覚が走りました。

そのWSでは、マリアグリッドを使って誰でも簡単に強固なグラウンディングが可能になることを、なおさんが証明してくれたわけですが、

グリッドをこのように配置したボードの上にまたがると、瞬間的にその人の身体は強い力で押されてもビクともしなくなります。(それについては合宿での詳しい検証動画もありますので見てください)

 

ご参加の方々が、次々とボードにまたがる姿を見て、わたしは感慨深かった。みんなの歓声とは別なところで、実は一人泣きそうになっていた。

 

どうしてかというと、その様子が、わたしにあることを想起させたからです。

それは、「踏み絵」です。

 

その昔、禁教令が出され、キリスト信仰は御法度だった時代があることは、日本人なら誰もが知っていると思います。

遠藤周作の小説と、映画化されたそのお話は多くの人が知っています。

 

ちなみにわたしは、「坂ノ下修道院」という名で何かをはじめることになろうなどとは思いつきさえもしなかった、その開業1年ぐらい前だったか、金沢のある場所(今思えば私設の教会)で、ずらっと並んだ当時の踏み絵の現物、また数多くのいわゆる隠れキリシタン遺物を見たことがあります。

どうして金沢かというと(ああ、話が逸れる)キリシタン大名高山右近ー前田利家の関係で、金沢には相当数のキリシタンがいたわけなのですが、これ以上は今日の本筋と関係ありません。

 

ああ、話がどんどん逸れてしまいますが、でも思い出したので今ついでに言うと、

どういうわけだか訪れた、その私設の教会で、わたしは帰り際に、そこの主人から、「不思議のメダイ」を手渡されたのでした。

その時のわたしは、それを特別嬉しいことには思わなかったし、不思議のメダイが何なのかさえ知らなかった。

それどころか、そのようなシンボリックなものって、意味性が発生するから嫌だな(例えば失くしたら災いが起きるとか、そういうこと)、とさえ思っていたのですが、これもどういうわけだか、せっかくいただいたものだし、大切にしなければ、、、と思い、鎌倉に戻ってから「なんとなく」チェーンをつけて身に付けることにしたのです。

そしたらやっぱりあっという間にそれを無くした。

ほらね、これだからやだったんだよ、と思いながらも、

どういうわけだか無くしたことを非常に悔やみ、心穏やかではなく、そしてその時になって初めて、そのメダイの意匠が、わたしが子供の頃、叔母にねだって手に入れた「アレ」と同じだったことに気づいたのです。

そしてわたしは慌てて(当時は本当に近寄りたくなかった)実家に行き、元わたしの部屋に今もそれがあったことに安堵と驚嘆を覚え、それ以降は肌身離さずずっと大切にしている。

うん。今書いていて、「あー、そうだった、そうだった、、、」と思い出しているわけなんですが。

 

 

話を戻します。

そう、「踏み絵」。「絵」を想像するかもしれませんが、実際は絵ではなく、鋳物とか銅板とかです。紙に擦られた絵も当時にはあったのかもしれませんけれども。

 

その昔、実におびただしい数の人が、「絵」を踏めないばっかりに、命を落としました。それも残忍極まりない凄惨なやり方で、「処分」された。

それは史実です。

そして、誤解を恐れずに言うと、

踏まなかったことが立派なことなんかではないと思うのです。

少なくとも、後世の人間が、踏まなかったという行為を立派だと崇めてはいけない。絶対に。

それを美化すれば形を変えて同じ現象を容認することになる。

彼らは、要するに犠牲者です。

もちろん、それは体制(政治)の犠牲者、そして戒律の犠牲者、さらにいうと「仲間意識」の犠牲者です。

 

「踏み絵」というものを初めて学校で習った時、わたしは純粋に思った。

「どうしてそんなものが踏めなかったのだろう。ハイハイ言って、黙って踏んで、無罪放免。それで勝手に信仰してればいいじゃないか」と。

絵を踏んだぐらいで、キリストは怒るのだろうか?

キリストは、人の命がかかっているのに、絵を踏むなって言うような人なんだろうか?

しかしその疑問に答えてくれる人はなく。

 

そしてやっぱり今でも思う。

ああ、そんなもの、踏めばよかったものを。そんなもんはただの絵だ。いくらでも踏めばいい。生き抜くことは絵より大切だ。

遠藤周作の小説も、やっぱり同じことを言っていると思う。

命を預かった以上、人は生きてこそです。

 

 

ジーザスが生まれて2020年後の今、

教会なんかいらない、と言っているただのオバハンが、「かわいい」という理由で作った小さなマリア像に

どういうわけだか不思議な力が宿っている。

同様に、やはり教会にも戒律にも無縁な人たちが、その力を実感し、恩恵を受けている。

誰かの作ったルールを負わされ、命を落とした人たち。現代に転生しているのなら、どんどんこのグリッドを踏んで欲しい。

わたしたちは生きてこそだ。

だってわたしたちは生かされているんだもの。

自分を生かしているもの(大いなるエネルギー=神)は宗教ではない。

いつでも、どこでも、何をしていても、それはそこに(ここに)いて、あなたがよりよく生きるために働いている。

あれをするなとか、それをするなとか、そんな決まりは一切、ない。

人は自由で、何にも隷属する必要はない。

隷属の果てにあるものは「恐怖」と「制限」と「処分」だけ。

 

・・・そんな想いが頭によぎったら、グリッドをまたいでは上がる人々の歓声に、涙が出そうになりました。

ああ、時代は本当に変わったんだ、と。

 

 

でも、その一方で今また、何かがヒタヒタと迫り寄っている足音を感じる。

人の自由を取り上げるもの。

今度は、世界規模のもの。

 

人は皆生きてるんじゃなく、生かされてる

目に見えるものだけを信じてはいけないよ

人生の岐路に立つ標識はありゃせぬ

(by 宇多田ヒカル)

 

 

そういうわけで、「生命」は今、一番のテーマだと思っています。

 

そんな背景があるからなのか、なんなのか、わたしにはわかりませんが

次のグリッドは「生命」がテーマです。

それは出雲で降りてきた強烈なもの。

 

あー、これでやっと出雲の話ができる(笑)

 

新しいグリッドも、もうすぐ発表できると思います。

 

 

読んでくれてありがとう。

 

ではまた!

 

 

 

 

 

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