「火」について、折に触れてよく考える。
人間は「道具を使える」から人間なわけで、それも言い換えると、「火を自由に扱える」ということがすべての元なんだと思う。
いうまでもないが動植物は火を扱えない。サルは火を使えないがヒトは使える。
ツインピークスに出てくる強烈なキーワード「FIRE, WALK WITH ME」はつまり人間すべてに当てはまる。
火は万物の根源と言ったのはヘラクレイトス(かな?)
火は神聖なものだ。神聖すぎる。
火はすべての物質を変容させ、新たなモノとして再生させることもできるが、同時に消滅させるだけのパワーを持つ。
人間の肉体だって火にかけられれば消えて無くなる。
光、熱、電気のすべては大きく括れば「火」だ。
わたしたちは火を、自分たちに都合よく飼い慣らしてきたつもりで、調子に乗り続けた。
燃え盛る火を、実際は誰もコントロールなんかできないのに、そのことを忘れた。
この世に原子力というものが生み出された時から、わたしたちは暗黒の世界に住んでいる。
決して消えることがない絶対悪を人間は生み出してしまった。
それでも、わたしたちは日々ハッピーだ。
日々の利便性を享受しながら、原子力の悪徳さを呪い、次の瞬間には忘れて、思い出してはまた呪う。
原子爆弾も中性子爆弾も、原子力発電所も、自分が生み出したものではないとあなたは思う。
自分は一切の手を汚してはいない。自分が欲したわけではない。
それを作った人物が悪だ。それを使った人物、集団、組織、政府が悪だ、とあなたは思う。
でも、そうなんだろうか?
この問いに対する答えは、
いや、利便性を甘受しているあなたが悪い
というようなことからも程遠い。
わたしが思うのは
わたしたちがどのように都合よく理屈を組み立てようと、
わたしたちはただ、絶対悪の存在する世界に生きている
という救いようのない事実だけ。
この夏、また、広島に爆弾が落とされた日がやってきた。75年前の今日は、長崎に爆弾が落とされた。
このわずか数日前、レバノンにキノコ雲が上る映像をわたしたちは見た。
光だけを追い求め、光だけを見ようとする人間たち。
あなたの中にも、暗黒がある。
もちろんわたしの中にもだ。
それを排除しようとすればするほど、わたしたちは苦しむ。
それこそが業火の炎だ。
わたしがなにを言いたいのか、といえば、
なにを言いたいのかはわからない。
ただ、わたしのマリアでさえ、実際は火によって生まれている。
いかなる火も神聖なものだということだけは言いたい。
そして女は、火を通じて何かをもたらすもので、火によって何かを支配しようとすることは本分ではない。
なにかとてつもなく大切なことのように思うので、一気に書いた。
読んでくれてありがとう。