まだ発表していないけど「生命のグリッド」が決定的に「効いた」と確信できる事象が続いている。
今や母はそういう意味で各グリッドの検査役みたいなものだ(笑)
一昨日は一緒に買い物に出かけたついでに夕飯を食べに行った。
娘であれば、その顔を見れば「完全に消えた」とわかるし、また微細な変化で「また戻った」もわかる。
現れた彼女は終始ご機嫌でしょーもないことを言ってはゲラゲラ笑う陽気なオバハン。
お酒が入ってどうなるか、、、わたしの中で密かに緊張感を抱いて見守ることになるわけだが、
「あっち側に行きそうになるけれども、すんでのところで行かない」というかなりヒヤヒヤする攻防(なんの?)の結果をこの目で確認した。
さらに、この十数年、彼女の口から出たことがなかった、いわゆる「霊感バナシ」(前にも書いたが彼女はいわゆる見える系の人だ)が飛び出した。
曰く「オトーサンは夜になると寝に帰ってくる。よっぽど家が好きなのねえ」というもの。
一瞬「・・・え!」、と思ったが、彼女は本来そういう人だったんだから、それはもう深掘りせずにほっとこうと思った。
たとえそれがオトーサンであろうとなかろうと、もうそこはどうでもいい。
何しろこの数十年というもの、そういう、見えない世界系の話は彼女は瞬間的に拒否していたからわたしも持ち出さないようにしていたし、水も向けていないのに、まさか彼女の方からそんなことをポロっと言うなんて、、、、、、、ねえ。
そして極め付けは今しがたのこれ。
あの家には猫が足りないわけだが、母の異様さが過熱するに従って、庭に猫は一匹もよりつくことがなかった。
父はずっと猫を欲しがっていたから、「いい加減新しい猫を迎えたら?」と言っても、
物凄い形相で「いやよ!勘弁して!」瞬時に拒否。
父の死がほぼ確定的になって、猫がいれば気が紛れる、と言っても、「絶対に嫌よ!!!」と強行姿勢だった。
なおさんには、「家に猫が来たら、完了やな」と言われているわけだが、、、、
マリアグリッド(虹の)が登場して、母の様子が一変しても、
猫の件だけは「死ぬのを見るのが嫌だ」とか「自分だって猫がいたら死ねない」とかの理由で全くノってこなかったが、ナウ、庭に猫が現れた。
しかも、以前だったら
「そうね」なんていう言葉はどこをどう考えても出てくることはなかった。
この後の返信は
「明日も注意して見守るわ」だった。
とにかく、猫が来れば完璧だ。
いやーーーーーーーーーーーーーーーー
どう思う?
わたしは自分で作っておきながら、自分で作っているからこそ
そして自分に起きていることの詳細を見届けているくせに、どう言えばいいのか、、、、その、、、冷静に考えてやっぱり不思議だ。
「まさかこんな小さなものを置いただけでねえ、、、、、」としか言いようがない。
でもとにかく、ありがたくて泣けてくる。
一連の事実から、すべては「冷静に考えて」を超えたところにあるのだろう、ということだけはわかる。
読んでくれてありがとう
またね!