オサナイカオリノシゴト

KAORISSIMA ENERGY WORKS

人生の答え合わせ。自分に欠けているものは、一生手に入らない(完)

誰も知らない未来を創造しよう


続きね。
(1)
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家庭以外でわたしはハッピーだった、と言ったが、

当時は毎晩のように誰かと、どこかで食事していた。たいてい週に4日ぐらい。

そういうのに誘い合う仲間には困らなかったし、だいたいがわたしは美味しいものが好きだ。

ましてや食の仕事をしていたし、この狭い鎌倉は、ある意味「飲食店外交」とでも言うべき、「ちょっとした人」達の行く店はだいたい決まっていて、そこで顔見知りになる→友達増える みたいな雪だるま現象が起きるのが常だ。

 

食は、わたしの結婚生活の苦悩の大きな種だった。

それが今回の愛先生の読み解きで、まことにもって驚いたこと、なわけだが、

わたしはとにかく食い物にうるさい。自覚がある。

というのは、これもわたしの育った家が、食べるものに関して非常に大きなウエイトを乗せていた家だったからだ。

とにかく我が生家にとって、食べることは重要だった。

祖父も食通だったし、食いしん坊でもあった。父も味覚には厳しいものがあった。

そんな家で、母は料理が上手で、今もそうだが、実に多くの品数をちゃっちゃと用意していたし、わたしは冷凍食品も「イシイのミートボール」「マルシンハンバーグ」も食べたことがない。「そんなものは気持ち悪くて食べられない」のが我が家だった。

微妙な味つけの件に関して、家ではいつもやいのやいのがあったし、それが普通だった。

おかげで舌は肥える、レストランのサービス、またそこで客としてのふるまい方にはうるさい。そんなように育ってしまったのがわたしである。

一人暮らしをしても、食べものに関して、絶対に譲歩できないいろんなことにこだわった。

ヘンな添加物の入ったものは食べない(実際、不味くて食べられない)し、食べたいと思うものが常に浮かんだし、浮かんだら絶対にそれを作って食べる。

仕事して、疲れているのに、それを続けた。

 

結婚したらしたで、DNには「ちゃんと自分の手で作ったもの」を食べさせるのが当然だと思ったし、多少大変でも、その行為というか心がけに関して、感謝があればそれはワケもないことだと考えていた。

「毎日ありがとう」とさえ言ってもらえれば別によかった。

ところがそれは叶うことがなく、深夜に帰ってからメシの支度をし、食卓に並べ、DNは無言で食べ、「疲れたから」テレビでも見てゴロゴロしている。

味付けについて、特に感想を言うでもなくなんでもなく、「せっかく作ったのに」と言えば「作るのが嫌ならコンビニ飯でも俺はいい」とまで言われ。

わたしだって疲れている。テーブルを片づけて、食器を洗い、ガス台を綺麗にし、、、などとやっているうちにわたしは悲しくて泣いた。

それでも、努力を続けていれば、「家庭で食べるご飯の大切さ」がいつか彼にもわかるだろうと、なぜか信じて続けていたが、

すでに嬉々としてやると言うよりはただの義務感だった。

生活は最悪でつまらなかった。

 

 

そんなことだから、鎌倉に戻ってからは、家庭で過ごす時間よりはるかに多くの時間を外で過ごしたかった。

今日はここ、明日はそこ。いろんなところで食を楽しみながら、誘いは常にある。

やはり食いもん好きな人たちとSNSでも食いもんの話になる。

「食についての楽しみ」に飢えていたので、そういうのが本当に楽しく、また家庭外での共通言語のようになっていた。

 

だけどこれを、わたしが、バカみたいに太って醜くなった、と自分で気づいて断食を実行した時から、なんとなく全てが変わっていった。

食べなくても生きられる、というか、「食べない方がむしろいい」ことに気づいてからは、

食事を作ることが本気で「苦痛」になったし、もうメシについてあーでもないこーでもないといったようなことをネタにSNSで発信することが、

実に不毛でバカげたことかのように感じるようになってしまった。

そして、そんな中で、「それでもご飯を一緒に食べたい人」かどうかが、自動的に判別されるようになっていった。

要するに、あけすけに言えば、「幻想世界にいて文句ばっかり言ってる人たち」と、話しても楽しいことは特にない、と気づいてしまった訳である。

 

この頃、離婚を経て、DNは劇的に変化した。

離婚後も一緒に暮らしているが、今は全てにおいて協力的で、わたしを阻害する要素は何もなくなった。

わたしは、創作活動を始めた頃から、ご飯を作る時間があったら制作にあてたい、と思うようになり、

「能力」として見ても、

以前のわたしは友人たちから「料理好き」「料理上手」と言われていたし、確かに下手ではなかったのに、今は明らかに昔より味が落ちたと感じている。

母のところに行くと、父の死後も(要するに一人になった今も)、母は信じられないぐらいきちんと料理を作っているし

「あーーーー、わたしも昔はちゃんと取り組んでいたのになー、、、、」と思ったりして、

どうしてわたしの料理が下手になったかというと、それは「甲斐がないからだ」ということも冷静に突き止めていた。

要するに、DNは、食卓に出すもののほぼ99%を「おいしい」と言って食べてくれる。(DNが作ったものは50%ぐらいしかわたしは美味しいと言ってないw)

実にとてつもなくありがたいことだが、難点はそれ以上のものを作ってやろう!という気が起きるわけがない、というところにある。

でも、それでいいのだ。

それに「創る」ということにおいて、「アクセサリー類を創る方にアタマがいったら、ご飯を創るというクリエイティヴィティはほとんど失われてしまった(両立しない)のではないか」と、なんとな〜く考えたりしていたのだが、

どっちが楽しいかと言えば、もはやご飯を作ることよりは、自分の制作物を作ることの方が何倍も楽しいことは明白だ。

で、無理に料理を作る時間を取ろう!と思ったら、

また「本当は嫌なのに、仕方なくやってる」という事実を発生させてしまう。

で、わたしはもう、そういうことは絶対にしない!と決めて久しい。

 

 

で、もしかして、要するに、そもそもわたしは料理がそんなに好きではなかったんじゃないか・・・・と考えていたところに、愛先生!

 

まじ、衝撃を受けた!この、食に関することのすべて!!!!!

 

 

そして思った。

この「幻想の中でもがく」という人生システムの素晴らしさよ!!!!

 

「いくら注力したところで、それは絶対に得られない」とわかっているなら最初から注力なんかしないさ。

だけど、なぜか、それを追い求めるようにできているというか、「仕向けられている」のがこの人生。

なぜかというと、「それを追い求め、そして手放す」というセットになった流れそのものが、真の覚醒に必要な「道」だからなんだよね。

幻想に気づいて、現実を生きる。

わたしは、「食というもの」に関して、かなり密接なポジションを取ってきた。食事を作ることに関しては、がんばってがんばった。

それはがんばったというよりも、当然のこととして注力した。注力したけれども、得られない。

いらぬ努力をしていたのは自分だったんだ!と自分で気づいてその場から立ち去り今は最高にハッピーだ。少なくとも、心の片隅に思い影を落とすものはもはや何もない。

しかし、この「いらぬ努力」をしなければ、この気づきは得られなかったわけで、いらぬ努力の道筋で、血肉となる大きな学びをたくさん獲得したと思う。

血肉となったのは、ただ知識として「知ってる〜」などという生半可なものではなく、「実感値」「経験値」としてのホンモノの学びな訳だよ。

 

もう一つ驚いたのは、DNは徹頭徹尾

「食事を作るのが嫌なら作らなくて良い」と言い切っていたこと、なんだよね。

わたしは「嫌なんじゃない。感謝の言葉ぐらい言ってくれ」と言い続けて平行線だった。

要するに彼は、わたしが好きで料理を作っているわけじゃなかった、というまぎれも無い事実を、最初から言い当ててたってことじゃん!!!!

で、どうしてこんな人を選んでしまったんだろう、、、と泣いたけど、

結果的に、「料理をちゃんと作るわたし」を賞賛する人だったら、今得ている「解放されたわたし」は存在できなかったじゃん!ということだよ。

・・・・ということに気づいてひっくり返った。

ということは、結局、わたしの動物のカンは、ヤーッパシ正しかったんじゃん!!!!!

てことなんだよ。そういう相手を選んだんだから。

超ワロタ。

てか、まじまじと感動した!このシステム!!!!!!!

 

 

 

というわけで。

 

我々クラスは人生も折り返しを過ぎ、もう、追っても得られない無駄なことに時間を費やしてるヒマはない。

これは人生の答えあわせ。

俺は自分で気づいたけど、その答え合せはみんなした方がいいと思う。

そこで、この話をひょんなことからしてくれた、信頼できる友達のスペシャルな鑑定を、どなた様にもオススメしたいところであります。

月星座だけじゃなく、総合的にみてくれて、丁寧に解説してくれるよ。

絶対やったほうがいいと思うよ!

これ↓

幻想に気づいて本当の自分に覚醒する「鍵」

 

 

こういうのもクソから抜け出すためのツール!夢を夜開かせるためのツールだよね。

夢夜サイトでも紹介しようかしら。。。

 

 

長々と読んでくれた皆様に感謝します。

ほなまた!

 

関係ないけど、夢は夜ひらくトートバッグ買ってねーーーーーーっ!!!!

夢は夜ひらく大容量トートバッグ

 

 

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