昨日の朝、ふと、フラワープリントされたKENZOのコットン地について思いをめぐらしていたら、
夜になって彼の訃報が入ってきた。
荻窪の祖母がKENZOをこよなく愛していて、その影響でわたしもよく着ていた。20代の頃のことだ。
彼の提案する鮮やかな色彩は、わたしの心にマッチしていたし、とにかく着ているだけで楽しかった。
人にどう見られるかを計算した服ではない。
何かのポリシーを主張する服ではない。
ただ、楽しい服だったと思う。
そこに、今思えばの話だが、一切の邪気は感じられなかったと思う。
これも今思えばの話だが、だからこそ、わたしは好きだったんだと思う。
3年前だったと思うが、青山の書店で行われたイベントに向かうべく、新橋から銀座線に乗ったら、目の前にいた女性のショールが複雑な寒色系の織りで
それは紛れもなく、かつてわたしも愛用していたKENZOのものだと一見してわかった。
うわーーーーーーー、懐かしい。やっぱりいいなあ〜。
わけもなく嬉しくなった。
書店に着き、ふと平積みコーナーに目をやると、そこにあったのがこの本で、当然手に取りレジに直行した。
この本は「いかにして俺はパリで成功したか」というようなテイは一切取られていない。
むしろ、「自分の人生、いかに楽しい日々だったか」という視点に終始している。
わたしにとって、「カッコいい」とはこういうことだ。
「行ってみたい」という理由だけで単身パリに渡り、楽しみに明け暮れ、「才能だけ」であっという間に花を開かせ、モード界のトップに踊り出でて、
しかしあっという間に財産の全てを失う。
そんな悲痛極まる話でさえ、悲壮感はなく、どこか軽く、飄々と、何かを突き放して語っている彼のありよう、人の生き様、として、深い感動を覚えた。
魚座特有の感性も色濃く垣間見える。
ここに書かれていることは、本当に好きなことをとことん楽しんで追求した男の話で、「もし失敗したら」なんて想定しない男の話だ。
その結果、彼には必要なすべてがもたらされたが、ビジネスの失敗は、彼の名誉をなんら損なうものではない。
彼はひたすらに美しさを愛し、ビジネスには関心がなかった人だ。
お金は集まったが、使うことに躊躇がなく、保持することに興味がなかっただけのことだ。
COVID19が本当の死因なのかはわからない。
しかしあれほどの功績ある人物に、パリの人々が集まってお別れを言う場も、もし用意されないとするならば、それはなんということだろうかと思う。
でも賢三さんは、もはやそんなことはどうでもいいと言うだろう。
人生とは儚い夢だから。
ダイナミックな時代。
極東の島国から、片道切符でパリに渡り、自由と楽しさを表現したその世界観でわたしたちに夢を見させてくれた人。
あなたのおかげで、わたしは世界がカラフルでもいいんだ、と後押しされた。
あんな服を作る人は、もう二度と出てこない。
大好きでした、ありがとう。