オサナイカオリノシゴト

KAORISSIMA ENERGY WORKS

料理が苦痛なのではなく、味気ない食卓が苦痛なのだという話

誰も知らない未来を創造しよう


我が愛する本多理恵子先生が『料理が苦痛だ』という革命的なタイトルの本を上梓されてからはや何年?(月日に疎い)

このタイトルインパクトが、オールジャパンの食卓の隅々に影響を与えただろうことを願っている。

それはどんな影響か?という話が重要な気がしている。

 

さてさて、そんなわけで、わたしはめっきり料理をしなくなったわけで、

それゆえ、必然的に料理の腕はガタ落ち君だ。そりゃもう、我ながらビビるレベル、この自分自身の現実にショックを受けたりするほどだ。

ま、しかし、最近では愛先生の月星座ワンポイントアドバイス的なアレで、

わたしは料理にこだわってはいけない

というのがバーン!と提示されたことによって、「なんだ!じゃ、いっか」と落ち着いていたわけだが、

だけど、そもそもわたしは料理が下手ではない。作ること一般が苦痛でもない。

実際、自分が食べたい!と思うものを、自分の好きなタイミングで作れば、いかにテキトーにやろうと、出来上がったものは「お、うまい!」だ。

それが毎日、決まった時間に、なんらかのものを、役割だからということで作らざるを得ないということ

つまり「義務化」が辛い、というのはある。

自分がノッて作業をしているときに、料理のためにそれを中断せざるを得ない、というようなことも心理的にはかなり辛い。

いや、辛い、というのはチーっとも正確な表現ではない。別に辛くはない。

 

ただ、そういうなんやかやが、「料理に向ける純粋な熱意」を大きく削いでしまうのだ、ということを実感している。

 

でも、どうしてそうなっちゃうのか?

ということを、極めて正直に深掘りすると、

それはつまり、端的に言って、

「食卓がつまらない」からであるということに、実は相当前から気づいていた。

気づいていて、最初は違和感をあらわにしていたが、そうしたところで辛いのは自分だから、

「ま、いっか(楽しみは食卓とは別のところにいくらでもある)」と思って、あえて気にしないようにした自分もそこにいる。

それでも自分から話題を作る(それも努力だ)けれど、まあ、会話として弾むわけではない。

 

要するに、食卓を囲む時間が楽しければ、そこに向かう時間もまた楽しみになる。

しかし、今のわたしにとって、それは逆だ。というか、その楽しみは望むべくもない。

わたしが食事の時間に求めているものは、すなわち対話であって、まあ、それはさしたる話題ではないにせよ、なんとなく頭にあることを交換したりする時間であってほしいと思ってきた。

食事は食事を口に入れる時間だ、という定義であれば、それは食事ではなく「エサ」だと思う。

うちには毎日野良猫がやってきて、メシくれ攻撃をし、出されたエサを食べたらいなくなる。

食事とエサが違うというのは、それはわたしの「思い込み」なのだろうか。

別に思い込みでも十分けっこうなことで、わたしはそう思い込んでいる人間だから、出したものを5分で平らげて、話すこともない、というような時間、

それこそが苦痛の正体だ。

いや、そんなことはとっくの昔に気づいていた。

 

STAY HOMEとかなんとか、

今や男女のどちらもが家で仕事をし、別に暇になったわけではなく、、、というこのご時世を利用して、

例えば夫婦、パートナー一緒にご飯を作る、ということに楽しみを見出せた人はラッキーだ。

でもそういう人たちは、日頃から会話の成立する関係なんだと思う。

 

 

希望のグリッド」をリリースしてからだと思うが、わたしは乱気流の中にいる。

「なんとなく望んだこと」が、ものすごい勢いでこともなく実現されていくことも実感しているが、

同時に、「本当は望んでいないこと」もかなり色濃く目立たせるようになったなあ、という実感もある。

そういう意味では極めて現実的な振動数を刺激するシロモノなのだろう。

本当の本当に、望んでいることは、やっぱり得られる。

その「本当」は、深く心の奥底に常駐しているが、「ま、いっか」「ま、仕方ない」みたいな何気ない妥協によって、普段は忘れているようなことだ。

人によっては、無理やり蓋をしてきたものと向き合わざるを得ない、と感じる人もいるかもしれない。

つまり「妥協」というものはもう作用しない。保管期限が切れました、というような感じなのだろう。

 

しかし、これは怖くない。

パンドラの箱を開けるといろんなものが飛び出すが、最後に残るものが「希望」だからだ。

(やだ、わたし、これを書いていて自分が天才かと思った。そんなことを意図していたわけではないけれど、やっぱりそういうことになる)

 

ほとんどの人にとって、最後にくるものは「パートナーシップ」なのではないかな?と思う。

一切の妥協のないパートナーシップ。

もはやそれは1:1では決してないだろうし、ましてや婚姻制度などでもないだろう。

 

ま、とにかく、わたしはこの際だから思いっきり自分が望んでいることをグリグリ見てみようと思っている。

それで最終的にわたしは(あなたは)そのすべてを手にする。

絶対にそういう風にできている。

そうじゃないと来世に持ち越してしまうし、わたしは絶対に「来世」を受け入れないと決めている。

今回でおしまい!母船の到着を気分よく待つ!

そのために、希望の書き出しをしてやるぜ!

 

ほなまた〜!

 

 

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