今日は亡き父の誕生日で、命日は30日だがこの日を選んで一周忌を行なった。
盛大にすることはせず、母とわたし、そして父の兄弟のみ、配偶者はなし、というミニマムスタイルで。
和気藹々と実に楽しかった。
考えてもみてほしい。
「何者か」にジャックされた母は、父の納骨さえわたしに知らせないという暴挙に出た。
父の死の当日も、彼女は信じられない暴挙に出た。
父があと数時間で死ぬ、と分かりきっているのに、集まった兄弟全員を帰してしまった、もちろん母もその場を去った。
わたしだけが、父が息をひきとる瞬間に立ち会った。
そしてわたしは怒りを爆発させた。
母は明らかにおかしかった。
1年前のあんな日々から、今のこの状況が予想できたかといえば、200%あり得ないことだった。
グリッドがきて、すべてが変わった。
今、ときどき、母との会話から、
「この人は本当に覚えていないんだな」と思うことがある。
父の死に際したことだけでなく、わたしの幼少期からの数々の暴挙に関して、本人はまるで記憶にないのだろう、ということが理解できる。
わたしにとっても、それらはすべて「♫雪が溶けて川になって流れていきます」が如く、思い出してもムカつかないし、胸が痛むこともない。
ただ淡々と、そんなことがあったなあ、、、、という記憶があるのみだ。
血の繋がりとは、こじれると実に厄介だが、絡まったものがほどければやはりこれほど素晴らしいものはないと思う。
それはほどかれるためにこじれるわけだ、ということを今は身を以てわかるし、多くの人に理解してほしいと思う。
どんな血も、水より薄いわけがない。
とにかく。
法要の間、ふと、「江戸時代に隠れキリシタンを匿った」としての伝説がある寺で、
ああ、そうだな、そのような人たちは聖母の名を唱えながら、この世を去っていったのだろう、、、と思ったら
わたしの中で何かがまたひとつ、キラッと光った。
その人たちの無念も、一生地に残るわけではない。
踏み絵を踏めなかった人たち。今の世に戻ってきているならどうか自由なこの世界を謳歌してほしい。
そういえば、どういうご縁か、この寺の門に掲げられた「くるす紋」と、その本来の主であった大分は岡藩中川家のお膝元竹田市の資料館に、わたしの作ったロザリオが飾られている。この写真は2018年のもの。
いろんな糸で、人間というものが、できている。
縦の糸も横の糸もある。
人の仕事は、糸をほどき、紡ぐことだと思う。
自分が何者か、何しにやってきたのかが、な〜んとなくわかったら、思っているより人生は短いから、とっとと仕事をして、とっととこの世を去るのみだ、としみじみ思う。
母船が来たらもちろんグリーン車に座りたい。
ほなまた。