昨日は父の命日でした。
実家には母のオバハン仲間が勢揃いして、大音量の大爆笑、大宴会の昼下がり。
皆同い年、81歳の元少女たち。中学からずっと時を共にして、今やオバハンの峠も超え、つまりバアサン。
どの人たちも、違う人生があり、それは喜びも悲しみも含まれた語るべき人生だ。
何か一大事業を成功させたとか、世界の誰もに知られるとか、そういうことはひとつもない。
でも、「やり遂げた人たち」の姿を見た、とわたしは思った。
齢81にもなったら、みんなそれぞれ身体のあちこちが悪いとか、伴侶が生命の危機だとか、なんやかやを内包しつつも
7人のバアサンが集まって全員が一斉に自分のアウトプットを同時にはじめて人の話はほとんど聞いてないw
より届かせたいから全員最高にマックスな音量でしゃべり続けては爆笑する、という皆様の飛沫上等!な姿に
なんというか勝手に胸が熱くなる。
利害でもない、上下でもない。ただ単に「気の合う友達」というだけで、なんやかやめちゃくちゃ元気だ。
話を聞いていて思うのだが、その人たち誰一人として、しんみりしていない。
それと気づいたのが、過去の話はたまにしか出ず、みんな「今」の話をしている。
独居老人の最悪な入院話でもなぜかめちゃくちゃ笑える話にしている。
それは技術や「見せ方」ではなくて、心の底から出てくる陽気さなのがわたしにはわかる。
それはあまりにも圧倒的で、心の底から
すげえな、この人たち!
って、わたしは思った。
エネルギーって、つまりこういうことなんじゃないかな、と思った。
ここに至るまでに、みんなそれぞれ山や谷を自力で超えたのだろう。
それを声高に言う必要すら、超えてきた人たちだ。
なんだかんだ言って、母は何かあると家に集結するオバハン軍団をもてなすのが生き甲斐のようで、
入念に料理を大量に用意して、お皿を揃えて、お酒を考えて、、、というのが楽しくてたまらない、という風に見える。
別なオバハン達(それぞれ信じられないレベルで料理が上手い人たち)もさらにあれこれと凄い自作料理を持ち込んで、
この共同作業と役割分担のすごさと言ったら、毎回毎回本当に舌を巻くばかりだ。
この人たちにとって料理は「苦痛」どころか、「圧倒的な喜び」になっていることがわかる。
要するに振動数が高い。
まあ、だから結果「何つくっても美味い」ってことになるんだなあ。
実際まじ超絶美味い。
父は、母の軍団が家に集結してどんちゃん騒ぎをすることを好んでよくもてなしていたから、
命日にそれが繰り返されて、とても満足しているだろう。
ゲラゲラ笑うこと。
それはとにかく、何よりも大事なエネルギー源だと思う。
ほなまた