あーーーーー眠い!今日も眠すぎる!!!!
この恐ろしい眠気と戦いながら、本日ついに、「かねよん本」こと
『不幸を寄せ付けない生き方』の最終稿を、かねよん送りにした。
然るべきタイミングでKindleにアップロードされるでしょうから、皆さんとにかくよろしくお願いいたしますでございます。
いやーーーーーーしかし、
「本を出す」なんて簡単になったね。こんなに簡単なシステムがあるんだから、みんなも書いて、出したらいいんだよ。
素晴らしいことだとしみじみ思う。
去年までは、「ちゃんとした出版物として出そう」と思っていたけど、はっきり言って今年はバカらしいと思うようになった。
だってそんなの、出版社編集部という「誰か」のお眼鏡に叶うか叶わないかでしょう?
で、その「誰か」がイケてるかどうかなんかわからないじゃん。
なんか時間の無駄だし、わたし自身が、電子図書と紙の本なら電子図書を迷わず買うタイプなわけで、みんなのあいほんの中で読んでもらえればそれでいい。
超ニッチな人に向けた(っていうか実際誰に向けてもいない)ニッチな話なわけでさー。
でも最近思うのは、確実にいるんだよ、「世の中に疑問をもつ高学歴ハイスペック女子」。
で、この人たちの受け皿は、ないんだよ。ないの。特にジャパンにおいてはゼロなんだよ。
世の中の最大公約数に対して「当てよう」と思ったら、最大公約数に向けたつまらない話をしなきゃいけないわけで、まあ、そんなのちょっと、、ねえ。
それより、ネットの特性を生かして、かねよん本人と読者のzoom会とかやったら楽しいだろうなー
なんて、すでにして「その後」を考えたらジワジワと一人想像してウケてるw
さらに、
執拗な眠さと戦いながらも、無差別爆弾を昨日今日で結局4セットをパッケージし、本日投下してやった。
投下って言っても陸路だけどねwwww
考えたらそれもんの施設なんか、職員さん含めて何人ぐらいの人がいるんだか知らないから、
とりあえず一箇所につき2セットぐらいは必要だろう。それを5箇所、全10セット投下すりゃ今年は上出来かなと思っている。
(ってゆーか、もう自分の中で年末恒例にしようと決めた)
はっきり言ってわたしは、単にひらめいたからやるだけ。
やりたいからやる、というよりも、ひらめいてしまったからにはやらざるを得ない。
それが正しいかどうかなんて、考えもしない。
ところで、こないだ、なんかメッセージ?を受け取ったようなことがあった。
たぶん例の「あなたのことを、ずっと見ていますよ」の主からなんだけど、
正しいかどうかの判断を待つのでなく、自分が正しいと思うことをやりなさい。
自分が光の存在かどうか、誰かに確認する必要はなく、今すぐ光の行動をしなさい、といったようなことだったと思う(が、すでにほぼ忘れかけている)
そんでそれは、結構厳しい調子だった。
ちなみにわたし個人に向けられた言葉、という気はしなかった。みんなに言え、みたいな感じだったから書いとくわ。
あーー、そうだそうだ。
よく「天命で生きる人」みたいな話があるわけだけど、
そんで「自分の天命はなんだろう?」みたいなことを探りたがる人がいるけれど、
そんなことはどうでもいいから、とにかく今すぐ正しいことをしろ、みたいなことだった。自分が光だと思うことをしろ、だった。
で、その正しいこと、は自分が正しいと思えばそれは正しいんだから、すぐやりなさい、みたいな感じだった。
そらごもっともで、その通りだなとわたしは思いましたよ。
混迷する世界は、たとえ大統領が誰になろうと、ますます分断に次ぐ分断。
さらに多くの「負」が生み出されるでしょう。
対立とか、憎悪とか、糾弾とか。
そんな中で何が正しいの、何が間違いだの、ってあんた。
どうやったら勝ち、どうやったら負けない、とか。
なんかねー、もうそういう思惑的なところで何かをするのがバカバカしい。
作為的なものって、今後はもう力を失うばかりだと思うんだよね。
もはや先を読むことなんてバカのすること。
だったら自分が正しいと思うことだけをすればいい。時間は意外と少ないよ。
自信とか一切必要ない。単にやるだけ。キャッキャしてやれるものがあれば尚よろしい。
わたしは、ただこの地上に「負」というものが存在している限り、それを少しでもなくしたい。
一寸先が闇なら、二寸先は明るい未来 (by 宇多田ヒカル)
かどうかは知らないし、それを期待することすらないけれど、わたしの心は今日も平和でクソ眠い。
ほなまた!