なんかアレだね。
ふと思ったんだけど、わたしたちはもう、すでに「リアル・パラレル世界」に住んでるのかも知れないね。
80近いジイさまが大統領で「よかった〜!」「ホッとした〜」とかの反応を見て、わたしもうどう反応していいかわからないし、
かといって「さあ、こっから不正が暴かれるぞ!おー!」みたいなのにもどう反応していいかわからない。
ましてや女性初のナントカが、もしかしていつかわたしの作ったネックレスをつけて登場するのか?とか、実は一切関心がない。
感染者数がまた、、、とかなんとか言われても、もはや全然ついていけない。
要するに、そんな全てのことが、これっぽッチも自分に影響を与えていない世界に、わたしは住んでいる。
そして、同様にそんなことに影響されていない、信用できる人たちと、日々なんやかやのやりとりを交わし、日々めちゃくちゃ前進している。
脳内は忙しく、実働も忙しく、疲れも知らず。
毎日何かしらの感動があるし、些細なことで心震えて、しみじみした気持ちになるし、
家の中でも、外でも、爆笑する機会にも恵まれている。
今はわたしの人生の、というか魂の旅路みたいなものの、点と点が猛スピードで繋がってきていて、
わたしは後、何と何と何をすればいいんだろう?ということばっかりめちゃくちゃ真剣に考えている。
というか、まさにここからがスタート、ここから始まるのだろう、という気が強くしている。
母船への搭乗権を賭けた真剣勝負だからそう簡単には乗せてもらえないw
かたや自ら進んで(そうとは知らずに)喜んで奴隷となる道を選ぶ人たちがいる。
そしてもはやそれがどう収拾されていくのか、見当もつかないし、むしろそこをヨム気力があったら自分のことを考えたい。
その人たちの現実世界と、わたしたちの現実世界はまるで違ってしまった。
もう、ただそれだけ。
それだけのことで、どちらが優れているとかそんな話でもない。ただそれだけ、種別の話なんだ、と思う。
「負というもの」(負け、じゃないよw)がどこから来るか、その仕組みと正体がわかってしまった今では
わたしはもう二度と負に支配されることはない。
だから、人々の「不安感情」につきあってあげることが、実際ムリになってしまった。
人々は不安が好きだから、なかなか手放そうとしない。
でも実際は、手放せるんだよね。
そうすると、人生に言い訳の必要が一切なくなるんだよね。
で、負のことを考える暇がなくなるから、「負の反動による喜び」(やがてまた落ちることが約束された喜び、一時的なアゲ)ではなくて、
ただの安定した喜び(アベレージが喜びになるってこと)になるんだよね。
多分、みんなこの「一時的なアゲ」を求めすぎてドツボだと思う。
まあ、パラレル世界だよ、本当に。
しみじみ思う秋の夜長かな、だよ。
ほなまた