うーーん
あれだね。
はっきり言って9割の人、いや9.9割の人は恐怖に支配されるあまり、自由の意味がわかんない。
これが相当やばい。
あなたのその行動は、何かに対する恐怖から来ていますか?自由から来ていますか?って話なんだけど、
いやーほとんどの人はさー、むしろ自由そのものを怖がっているわけなんだよね。恐怖に慣れすぎて自由は未知すぎて。
んな中でも、結局のところ、「要するに人が怖い」ってのは大きくあるわけよね。
さらに、そんな心理の内訳の中でもさー
「人に嫌われたらどうしよう」ってのがシェアでかい。
人に嫌われたくない心理ってゆーのはさ、
結局さー、突き詰めていきますれば、それは「損得」だよね。
一段階、二段階、掘ってみてごらんなさいよ。
結局「嫌われたら損する」だからだよ。
損すると思い込んでいて、それが怖い、ってことじゃん。
ところが、そんなレベル感の人たちに合わせていて、自分の成長を止めてる方がよっぽど「損」だっつーの。
ジャパンのようにムラ社会心理が異常に発展した国だと、
「嫌われたら生きていけない」という村八分社会があったわけですが、
そりゃそうだよね、農村コミュニティはさー、不文律によって成り立ってたわけだし、変なことするヤツがいると、村全体の危機、なんてことがあったでしょうしね。
2020年のなうとは言えども、きっと山間部とかさー、農村社会の理にかなった掟ってのはきっとあるんだろうなーとは、なんとなく想像はできるよ。
でもさ、それってさ、「命に直結した問題」の場合のみ、有効だと思うのね。
そんで、ほとんどの人は都市部に住んでるわけだよ。
それでも「人に嫌われたらどうしよう」は、要するに「損したくない心理」だってばさ。
みんなの言う方に合わせて頷いてりゃ、悪いようにはならないだろう。
それさー、精神的田舎モンだよね。
人と仲良くしましょう、とかさ
人に嫌われないようにしましょう、とかさ
わたしらカーーなり教育されて育つじゃん。
それってどうかなーと思うよ。
だって全部「受け身」の話じゃん。
それより「人を嫌わないようにしましょう」っていう教育の方が、よっぽど意味があるよね。
人にはいろんな考え方があるし、でも実はそれより大事なのが、「人は成長する」ってことだよ。
成長すれば見える視野も視座も変わる。景色が変わっちゃうんだよ。
そうした時に、もう視座の違う人と、話が合うわけがないんだよ。
気が合わない人と仲良くしなきゃいけない。でも離れたところで悪口言ってる。
いつも、その人に「合わせる」ために、「喜ばせる」ために、
我慢してきたのに、努力してきたのに、報われないを自覚した時爆発して
本当は嫌だったのに!って相手に怒りをぶつける、
みたいなことよりさ
その人とは気が合わないけど、嫌っているわけではない、という方が健全じゃん。
日頃を一緒に過ごしたり話に花が咲くことはないけど、困ってたら手を貸すよー、みたいな立場の撮り方を教育する方がよっぽどいいよね。
なんかアレなんだよね。
ぶっちゃけ女の寄り合いなんてさ、誰かの悪口言うために集まってるよね。
「旦那の愚痴」「子育ての愚痴」「仕事の愚痴」。
いやー、愚痴をぶちまけることは大事だよ。
でも、愚痴に共感し合って、それでどうすんの?
ウサを晴らしてるつもりが、一切晴れてないからね。だって解決策じゃないんだもん。
愚痴と悪口って、出した瞬間は気分イイのかもしれないけど、それって負の情報だからね。
「あの人もそう言ってたわよ」的な、ますます負が重くなりますって。
その場も淀むし、そこに共感してりゃ自分も汚れるよ。
でさー、愚痴で繋がってるような「友情」ってさ、どちらかに愚痴が消えたら成り立たないんだよね。
そんで、次からは愚痴から抜けちゃった人のことで、悪口言うよw
まーそういうレベル感のものが友情とは、わたしは思えないねえ。
自分の成長に従って、周囲が一変するのは当たり前。
嫌われたくないより、「人を嫌わずそこから抜ける」を考えた方がいいよね。
ほなまた。