この連休は(、、、、と言っても、すでに曜日も平日も休日もわたしの生活リズムに何の関係もないわけですが)
22日に仙台にライブを見に行くことが決定していたので、ついでに紅葉と温泉を楽しもうってことで2泊3日宮城の旅。
そして壊滅的に終わったジャパンの姿というものを見た。
けど、その話はまた。
ライブは毎年恒例の高中正義さま。
もう6年ぐらい?連続して年に一度同じメンバーで必ず行くわけですが、昨年は父の件で欠席。
今年はうっかりしていたら野音を取り損ない、そんなら地方で行くかってことで仙台に。
ライブは素晴らしく、泣きそうになった。
やっぱ、音は「生」に勝るものないよ。なにもかも、生の振動に勝るものはないさ。
「音楽」ってすごいと思う。
それを聴きに、わざわざ仙台まで行ったろかって気に、あっけなく、させるもんね。
仙台なんて新幹線乗れば近いってのもあるけど、「好き」ってすごいと思うし、
なによりタカナカってすごいと思う。
わたしたちの足を軽々と運ばせるんだもんね。
でもまー、いろいろと思うことはアリますよ。
ミュージシャンにとって、演奏することは死活問題。
表現することが人生の意味なのに、表現の場を奪われたらお金以前にどうなるの。
毎年ツアーのために、きっちりコンディションを作るわけで、それも開催するのしないのが揺れに揺れてさ。
ジジイのミュージシャンにとって、「来年」はあるかどうかもわからない。
「本当は存在しないかもしれないもの」が、存在すると報じられて、それを信じる群れがいて、恐怖に震える群れがいて。
一席飛ばしで限定されたシート、ステージからみたらスカスカに見える。
演者への配慮はありゃしない。
それでもベストパフォーマンスは求められる。
わたしなら、ヤンなるよ、ヤンなるよ。心折れるよ。
でもなんか、高中は軽やかなんだよね。
まーそんなことは、言いたいことは山ほどあるだろうに、特にどうということもなさげに演るんだよね。
キャリアってすごいな、と思うけれども、おそらく持って生まれた「軽さ」。
なんか、この軽さ、高田賢三さまにも通づるなーと思ったのが発見だった。
KENZOの世界も、小理屈ではない、主義主張ではない、とにかく明るくて楽しくて自由。
2人とも、めちゃくちゃ若い頃が才能の全てを開花させた絶頂だったのも似てるし、その後時代の趨勢を追いかけようとしないところも似てるなー。
それで、わたしはそーゆーのが好きなんだ。
そーゆーのをカッコいいと思うんだわ、ということもしみじみ感じた。
ま、ともかく。
家から出て、遠い山奥まで行ったけど、
そう、山奥。
それでもマスクしてない人に会わなかった。
なんなんだそれ?って、わたしは思うよ。
温泉に、マスクして入ってる人(!)もいたよ。
別な意味でオツムが心配だよ。
みんな、なにが怖いんだろ?
恐れることで、無残に消えていってしまうものがあるわけだが、「失って初めて気づく」とかなんとか、
そんなことでは遅いのではないでしょうか?
・・・・・んなこと言っても唇寒し。
あそっか、唇が寒いからみんなマスクしてるのか。
ほなまた。