なんか、あれなんだよね。
人なんかどう生きたっていいし、基本自分以外の人の言うこと聞いちゃダメってだけなんだよね。
で、何を言われても「ほっとけ俺の人生」(by新庄剛志)って言い切れればそれでいいわけで。
自分で完全充足してりゃそれでいいわけで。
勝手にトライして自分で成否を決める。
大きなリターンを得たければ、大きなリスクがつきものだし、
大きなリスクを取りたくなくたってそんなの別にいい。
少ないリターンでも、「満足いく満足」が得られればそれでぜんぜん良い。
状況次第で利幅の計算なんか自分ですりゃいいわけでね。
「正しい投資額」なんてないのと一緒。
うまくやってる人を見て羨ましい?
そりゃ、その人がリスクを負ったってだけの話で、
リスクは負いたくないわ、リターンは欲しいわ、なんて都合良すぎる話は、たいてい何かがおかしいでしょ。
そんな成功例わたしほとんど聞いたことがないw
で、うまくいった人のほとんどが「自分はこんなにリスクを取ったんです!」などという話は、あ〜んまりわざわざしないような気がするわけ。
で、人は「うまくいった」部分だけ、見て、なんやかや。
それで、リスクを取らないということだって、立派な選択なのだから、それはそれで満足すればよし。
下山する勇気だって必要だ。
リスクを取ってまでもGOだ、という時が来たなら、迷わずGOすればいいという話。
「コンフォートゾーン」だって、別に、そこにいるのが悪いわけじゃないし、
うまく抜けられる人もいれば、失敗に終わることだってある。そんなの普通。
無理やり抜け出る必要はないし、居心地のよさをやっと見つけられた、と感じているのなら、それはハッピーなこと。
そんなの、、、ねえ?
停滞を感じているなら抜ければいいだけで。
どうしても動けない時は動けないものだしね。
人が指針にしていることだって千差万別なのだから
誰かに言われたことが自分に当てはまらなかったとしても、それはそれ。
だいたい、「誰か」は、その人以外の全ての人に当てはまる最適解なんて提示しませんよって。
メタ認知って大事だと思う。(って、「メタ認知」の説明のためにググったけど、ろくな記事がなかった)
単に客観的に見るというより、大きく突き離したところから見るっていう意味ね。
「大きく突き離したところ」はいわば高次元だから、感情の揺れなんてものは存在していない。
いつも一定視点で自分を見ている。
だからたいていのことは「演劇」に見えるよね。
そもそも、この世界は全員演劇部だから、上の方(俺2号)から見てると笑ってしまいますわね。
プププ、またやってるよw
みたいな具合、でしょうか。
自分を笑えないとつらいわね。
しかし一通りそんなお笑いをやっていると、それにも飽きてくる。
それで、演劇部を退部する方法があって、
何かというと、常に俺2号との乖離をなくせばいいだけ、
つまりいつも俺2号の目線でいる、俺2号に主導権を渡す、ということなんだけど。
ま、「自分の魂を生きる」って、つまりそういうことだ。
で、その状態になると、
「ほっとけ俺の人生」って普通に言える(むしろぜんぜん言わなくてもいいw)わけで、
別に魂さんはあなたに指示を出したり、わかりやすくアドバイスしてくれる、な〜んてことは全くない。
勝手にトライして自分で成否を決めて、勝手に満足している状態、ということになる。
基本自分以外の人の言うこと聞いちゃダメ、って話ね。
話が一巡したので、ほなまた!