今日はその辺の山に紅葉狩り。
やはり赤はよろしい。
紅葉狩りのそもそもは、山の赤を手折りて居に飾り、その真紅によって魔を避けるというものだ
という以前どこかで聞き及んだことを深く記憶している。赤の天井、赤の絨毯の下で、人の顔色は良くなる。
血色が良く「見える」ということ以上の効果があるとわたしは見ている。
「獅子岩」と名付けられているこの岩。
今日初めて、ライオンが丸くなっているように見えた。ネコ科の動物(笑)
山歩きは好きだが、今年は山を歩く回数が少なすぎた。
来年、というか今すでに、テーマは「地面」というか「地下」「土中」ということになるので、思い立ったら山に行ってやろうと思う。
幸い、鎌倉は「その辺」全部が山だ。
我が家の場合、前は海、裏は山だ。実家に行けば、枯れることなき井戸もある。
これがいかに恵まれていることか。
さて、海は「浄化」、つまり出すところ流すところなのに対して、山は「受信」というか、入るところ満ちるところだ。
最近の自分の謎な傾向として、「山や岩」から何かを得る、というものがある。
これについては意味不明だろうが、こちらは説明に時間を割くことが惜しい。そんな時間はないと感じている。
そうそう全般的に、時間がないと感じている。
何の時間かはわからない。
とにかく非常に急いでいる。
とにかく説明しなければ伝わらないことのすべてがまどろっこしい。
説明的にならざるを得ないことを説明するのに、それなりの気力を必要とするようになってしまった。
今日はこんな岩。
鎌倉育ちなら過去何度も行っている、そんな場所から、何かがブワーッと入ってくる。
まあ、だいぶ前からだが、それなりに急な斜面を登っても息が上がることもなく、疲労感もまるでない。
それでも久しぶりに、2時間ぐらい歩けば、「ひさびさに筋肉を使った感」は得る。
が、帰宅して吸うタバコはまずいからデトックスされたのがわかるし、脚は非常に軽く、脚がないのかと思うほどだ。
デブついていた顔もすっきりしている。
夢夜バスソルトをしこたま入れて入浴したら、そのままバスタブで爆睡してしまった。
これが最近ありがちで、疲労感とはまるで違う、異様な睡魔だ。自分にしかわからない。
そして、全然お腹が空かない。
エネルギーが満ち、体内でうまく循環すると、空腹というものはそんなに実感しないものなのじゃないか、と思う。
エネルギーが枯渇すると、外部から得ようとして摂取に走る。物質からエネルギーを取り入れようとするのは脳の誤作動なのではないか。
「愛」というのは自分自身であるのに(自分の中にすでに持っているのに)、「人に愛されたい」(外部から愛を求める)と思う気持ちと酷似している気もする。
ま、それでも美味しいものが好きだから、食べたいものはカロリーなどは気にしない。
でも以前のようにバカみたいに太ったりしないのも、面白いなと思っている。
ほなまた