昨日、お父様を亡くされたという若い方と話した。
自死だったそうで、その後彼女は鬱になってしまった。
お父様の持っていた「感情」つまり悲しみや苦悩が、彼女に入ってきてしまったようだ。
そうかそうか、わかるよ。そういうことはあるんだよ。超あるよ。
鋭敏なセンス(知覚)を持った彼女だから、それが自分の感情ではないことに気づいたのだろう。
それに、普通に亡くなったって悲しい、寂しいんだから、
そのような最後ならダウンして当然というものだから、自分が「弱い」なんて思う必要はどこにもない。
弱いのじゃないよ。極めて「まとも」なんだよ。
わたしだって、死んだオトーサンの棺にウィスキーと焼酎を入れてやったら、
なぜかわたしが酔っ払ってしまったとか(マジだよ)
葬式などの一式が片付いて出かけたら、やたらとあれも食いたいこれも食いたいモードになってたり(実際いくらでも食べれる異常食欲)とか
まー普通のお方なら「考えすぎじゃない?」としか言わないだろうようなことが
けっこうボコボコ起きたもん。
わたしは「あ、、、」と理解して、じわじわウケた。
あーよっぽど酒飲みたかったんだろうなー(最後の病院でもビールの栓開けるジェスチャーで笑い取ってたw)
よっぽどうまいもの食いたかったんだろうなー(自由になったらまず寿司屋に行くと言ってたw)
と思ったらしみじみしたもんね。
だからしばらくバンバン食ってやったら、その食欲はどっか行ったから、オトーサンは満足したのだろう。
そう考えると、うちのオトーサンのバーイは、本当に平和な最後を迎えたんだろうね。
まー、こんなことは、誰に話してもわかってもらえない、、、と彼女は悩んでいたようで
いやいや、あるある、あるんだよ、そーゆーことは。
そしてその「悲しみ」や「辛さ」が入って来たという現象も、何ら不思議ではないよ。
だって、そういうものなんだもの。
それを経験的にわかってしまったら、もう世の中で「普通」などと言われている尺度には、自分を合わせることが難しくなる。
だってだってだってー
みんなが信じ込まされてきたことの方が、幻影なんだもの。
若いうちにそーゆーことを体験的に知ったら、その後はバンバンザイだ。
自分に残っている悲しみや苦痛の元を探れば、いつかそれを解放することができる。それは魂の仕事。
もし、彼女にその「お父様の感情」を感じるセンサーがなければ、彼が持っていた根源的な苦痛が、「負の情報」として地上に残っても、誰にもわからない。
残ったものが、消えたかどうかを確認することができるのは、彼女自身のセンサー。
はたして、それはものすごく貴重な「機能」だ。
誰でも持っているそんな機能のスイッチを入れ、アクティブにしてくれたのもお父様だろう。
・・・・・と話していたら、美しくて思わず泣けてきた。
素敵だなあ。父親と娘って、尊いつながりなんだよなあ。
あのねー、「親というもの」って、すごいんだよ。
死んでから仕事をするんだから。
わたしは誰の親でもないから、せめて生きているうちに仕事をしようと思うんだー
そうそう、いつかも書いたけど、
一般的に、「自死は悪い」っていう通年も、おかしな話だとわたしは思う。
そこも含めて、一人の生き様だ。
死を選んだ人が、事情を知らぬ者からいらぬ誹りを受けることは許されない。
残された者の悲しみは莫大だが、「残していくもの」もまた、旅立つ者の置き土産だ。
それもまた立派な仕事だと思う。
「タブー」にしてはいけないんじゃないかとわたしは思ってる。
だいじょぶだいじょぶ。
その子は絶対に大丈夫だと思った。
ほなまた
かおりさんがおっしゃっていたこと、お父様が旅立ってからのことだったのですね~
闘病時と勘違いしていました。
実は先日、わたしも母を見送ったのですが。
わたしは病気が判明する半年前からけっこう激しめな体調不良(思わず妊娠検査薬を買いましたw)と細かい不調に見舞われ。
それらが、母が肉体から去ったと同時に、消え去りました。
(生命のグリッドで治癒したのとは別の症状です)
母の場合、定まった寿命があって、それをきれいに全うするために、最後の片付けと皆とのお別れの時間に充てるために、病気と診断されたようなものでした。
そう思っているのはわたしだけかもしれませんが、確信があります。
かおりさんの日々の生きざまをこうして教えてくださっていたから、理解できることがたくさんあり、いつも本当に助けられています。
ありがとう!!!