変わった子供だったから、人の生き死にについては、小さな頃からその辺の人を遥かに凌ぐ濃度で考えてきたし、
人は生まれたら死ぬ、死ぬために生きていると思っている。
父を看取るという具体プロセスを経ては、さらに明快な考えを得たつもり。
死は悲しむべきものではないと。
ただ、それでも、そうは言っても、
自分より遥かに若い、親しい友が、この世を去ろうとしている現実を
ハイそうですかと受け入れることはなかなかに難しく、
じっと考えては涙が溢れてくる。
やっぱり悲しいものは悲しい。
悲しんではいけないなんてことはない。
わたしは悲しいんだよ。
非常にさっぱりした、竹を割ったような、
持ってる本質が明るい、
陰湿なところがひとつもない、気持ちのいい人だった。
サバサバして、ノリが良く、ちゃっちゃと物事を片付けていく人だった。
いろんな思い出がある。
そんな思い出を、もう更新できないなんて。
もう会えなくなるなんて。
クソ!
あんたは一人で旅を終えるのか。
一足早く、終着駅か。
明日会いに行くよ。
しかしわたしはなんと無力なことか。
わたしにジーザスみたいな力があれば、
あんたの病気ぐらい治せるというのに。
どんな人になりたいといって、
わたしはそんな人になりたい。
わたしにそんな力があれば、こんな思いはしなくて済むのに。
と、思うと、わたしはつらい。
医療というシステムについては、考えるところがやっぱり大きい。
みんな、元気で生きているうちに、死ぬことについて真剣に考えた方がいいと思う。
あまりに悲しくて吐き気がする。
要するに、わたしはつらい。