料理を口にして涙を流したことありますか?
わたしは泣いた。
昨日の夜。
いや、食べ物のことについてガタガタ言うのはやめたんだけど、
そしてわたしはもう、あれが食べたいとか、これが食べたいという、食への強烈な願望というものも
もはやさほど持ち合わせていないわけだけど、
2年前かな?あるシェフについてのドキュメンタリ番組を偶然見て、
これは是が非でも、どんな味がするのか食べてみたい、
そのために、いくら払ってもよい、
絶対にこの方のお料理を体験してみたい、と、強く思ったのでした。
その方はフランス人で、日本を代表する某ホテルのメインダイニングのシェフとして招聘されてやってきた。
そのドキュメンタリでは、その人柄(人格と言っていい)、文化や食材と向き合う姿勢、
本質という本質を見抜き、深く納得するまで研究し尽くし、
やっと自分の自在に使えるものにした、と確信してから調理に採用するという、
あまりにも深い深いところにまで落とし込む姿勢が
本当に素敵で、いやーーーー素敵としか言いようがなく、
この情熱に対して、わたしはいくら支払っても払い過ぎだということはない、と確信したわけです。
それは、食の話をしていると見せかけて、そうではない。
食材=「自然」、食材=「生命」と対峙して、彼はその「美」を徹底的に活かすことを追求しているんだ、、、ということが
深い洞察がフランス人らしいシンプルで詩的な表現を用いて語られる言葉から、滲み出ていた。
それで、
よし、絶対に行こう!と決めたわけだが、
誰と行くかが問題だと思った。
もちろん、まあ、一般的に言えば決して安くはないコースだし、軽く誘うのも気が引ける。
というよりも、
この体験をするのに「安い、高い」の話題が出ること自体を拒否したかった。
この体験が、プライスレスなものだと瞬時に理解をし、
かつ、テーブルに着く時間のすべてを、自分と同じか、それを上回る感性を持った人と一緒に楽しみたかった。
そこでわたしは思いついた。
この極上の体験を完璧なものにするために、仲良くしてくれている2人の料理人(どちらも一流だ)と行くことにした。
二つ返事で付き合ってくれた彼らは同い年。
しかも全員3月生まれという奇特な我ら。
この安心感。
3月生まれは感性勝負(奇人変人)だから、まあ、大抵のことを瞬時に受け取ったり返せたりし合えるのは、
わたしにとって何よりの幸福。
安心しきって、一切の気兼ねがなかったせいで、
最初のアミューズを口に入れた瞬間、
やだ、泣きそうになっちゃった、と思う間もなく、涙が出た。
食べることが好きだから、今まで、いろんなところでいろんなものを食べてきた。
う、これは美味い!!!!
というものはたくさんあったと思う。
体験で言えば、「わたしも大人になったなあ」としみじみ感じてジーンとくるような体験もいくつもあった。
(イミフかな?わたし固有の感性)
でも、長い闘病の末でもないのに、口に入れた瞬間、感動して涙が出た、ということは
どう考えても、りーかお50余念の歴史の中で初めてのことだった。
以降、いくつかの料理でこみ上げてくるものがあった。
例えば毛ガニのゼリー。
それは3センチ程度の琥珀色のゼリーなのに、紛れもない「数杯の毛ガニ」だった。
このカニが、北の海の中を動いている様子、それを漁師が獲る様子、水揚げされ、陸送のハンドルを握るトラックドライバー、それを受け取る人、、、
なんか、そんないろんなシーンが、脳内で瞬く間に再生され
そんな人たちの暮らしや人生というものまで、ありありと浮かび、
なぜだろう、涙が溢れた。
味やプレゼンテーションだけではなく、マニュアル化されていない(できるわけがない)とすぐわかる、タイミングよく、気の利いた、
卑屈さのかけらもない、気分が良く絶妙なサービスも、決して大仰ではないソムリエの説明も、
このホテルが、「時を超えて守り抜いてきたもの」が感じられて、
ああ、、、、、という気持ちになった。
そのホテルは子供時代に、強烈な思い出がある。
祖父母と母と、連れられて食事をしていた時、少し離れた向かいのテーブルには外国人家族がいた。
何が起きたのか、金髪の女の子(わたしと同じぐらいの子供だった)は突然、母親の膝の上に乗せられ、
ものすごい強さで、お尻をはたかれたのを見た。
わたしはびっくりして、一瞬「わ!」となり、その親に対して、瞬間的に憎しみを覚えた。
「お行儀悪くすると、外国ではああなるのよ」と母は言ったが、
当時のわたしはめちゃくちゃ「お行儀の良い子」だったので、そんなところでお尻を叩かれる心配はゼロだったわけだが、
そんなもんなのかなあ、、、と思いつつ、その子の気持ちを思うと釈然としない気持ちでモグモグ食べた。
今でも釈然としない。あの子はどうしているのだろうか。
けど、こうして書いていて、自分が「観察者」であることは昔から、あんな子供の頃からだよと思ったらちょっと変な気持ちではある。
ま、そんな話はどうでも良い。
とにかく、テーブルにおいて流れた時間のすべてが完璧に過ぎていき、
わたしは遠慮なく賛辞の言葉が口から飛び出し続け、
挙句に、お店から予想だにしなかった最高のサプライズ(ちょっと書くことはやめておく)までもいただき、
本来であれば4時間ぐらいかけてもっとゆったりできたものを
小人さんが出るお時間だから20時には退店するということを踏まえても、
たぶん人生で最高の贅沢な時間を過ごすことができた。
まー、こんなのは滅多にないことだし、一度体験すれば満足するだろう、
そしてこれを体験したら、特にもう、、、、なんて言うか悔いもないなあ
などとボケッと思っていたわけだが、
「ああ、秋にはどんなものが食べられるのだろう」と、店を出た瞬間思ったし、
同行2名も、「頑張ろうって気になった。毎年一度は来たいよね」なんて
来る前と後では、全員言うことが変わっていて、
ああ、料理の持つ力ってすごいなって思った。
人に明るく前を向かせる。
生きるって案外そんなことかもしれないな、、、とか。
つくづく思った。
仕事とは、奥へ奥へと進めることだなあ。誰も見ていないところでも。
浅いものには浅い感動しかないんだと。
とにかく、素晴らしい体験だった。
生まれてきてよかったなと思った。
と言うことは、産んでくれてありがとうだ。
母を産んでくれたバアさん、そのまたバアさん、そのさらにバアさんたちにも感謝だなあ。
ほなまた!