まあ、はっきり言って、「絶望の時代」だと思ってます。
現状、というよりも直近の展望に関して、
頭のいい人と頭のよくない人で危機感の置きどころがまるで違う、という「絶望ミルフィーユ」みたく思える。
(意味不明)
わたしは、もう二度とパリにも、第二の故郷ミラノにも、
ましてや魂の故郷ブラジルにさえも、
行くことはできないんだなあ、ということをけっこう淡々と受け止めていて、
日々クロワッサンを食べるたびに、「あークソ!フランスでもっと食い溜めしときゃよかった!」と思うわけなんですけれども、
「なんで〜?行けばいいじゃない?(この騒ぎがおさまったら)」とか、多分慰めのつもりで言ってくる人は、頭のよくない人だと思っています。
決して頭は良くない。
けれども、心やさしい人。この社会システムの中で、真面目な人。
そういう人は、「この騒ぎ」が「いつかおさまる」と思っていらっしゃる。
そこに、希望を持とうとしている。
一見、この手の頭のよくない人は幸せな感じもします。
だって、知らないんだから。
知らない方が幸せなことはたくさんある。
むしろ、この世界は、知らない方がいいことでできている。
なぜなら、知ってしまったからと言って、もはやどうにもならないからです。
ましてや、頭のよくない人たちは、自ら進んで自由を差し出す。
自ら進んで、個体識別番号で扱われるような世界に行きたがる。
で、世界は頭のよくない人が、99.9%。
最近つらつら考えるのですが、
ワタクシ、振り返るに、人生で
「(今我慢したら)この先はきっと良くなる」
なんていう風に、考えたことが一度もないんですよ。
そう、考えたら一度も、ないんだわ。
自分が耐え忍んでいる間に、外部環境が変わって、よくなる(だから今は我慢する)
ということはあり得ない、と思っているんですわ。
だって、それって所詮「外部環境」に依存した希望、ということだよね。
・・・この話は説明が必要かもしれないから、めんどくさいからもういいね。
とにかく、わたしが言いたいのは
希望なんか持たない方がいい
ってこと。
はっきり言って、sooner or later そんな希望、必ず打ち砕かれます。
絶望の時代のテクニックは、「希望を持たないこと」。
「夜と霧」という有名な本があります。
強制収容所を生き延びたユダヤ人(心理学者)の記述です。
知らなかった人は、ぜひ読んでみてほしい。
結局、生き延びた人には特徴があって、
抵抗した人でもなければ、頭を使って人より多くの食料を手にした人でもなく、
収容所上空の空の色が、ああ、なんて綺麗なんだ、、、と感じ入ったり、
好きな人との美しい思い出を強く考えていたり、
凄惨極まる目の前の現実よりも、ここではないどこか、のことに想いを馳せてうっとりしたり、
そんなことができる人だった、、、という統計的なアレを、
わたしは「たったひとつの結論」として、覚えています。
ただ、希望といえば希望なのですが、
人類は、いずれ姿を変えるんでしょう、ということだけは確かです。
長い地球の歴史を見れば、ナウのような姿の「人類」が発生したのなんてごく最近のこと。
ついでに、ナウのような生活様式っていうのは、産業革命以降のこと。
産業革命って要するに19世紀初頭ぐらいの話だから、たかだか200年程度の、俺らの文化なわけです。
だけど、それは要するに失敗した。
ごくごく一部を除いて誰も幸せになんかなってないし、
人が病気になるのだって増加の一途だし、
だいたい地球環境というものが、もう破綻寸前なわけで。
だから、冷静に考えたら、人類はこのままの姿を維持することに、無理があるわけで。
やっぱりsooner or later こんな姿でいることに固執している意味もなかろう、というもの。
それを、強制的手段でやられるか、
自らの力で、進化していくか、
まあ、そんな選択権が我々いあるのかどうかはわかりませんけれども、
とにかく「細胞」はたったひとつの鍵だとわたしは思っています。
頭のいいみなさんに伝わればいいなと思って、人体についてしつこく言及しています。
ほなまた!