なんかもうアレですね。
やけのやんぱち的なノリで、ガシガシと物事は進めたいです。
やーもう、ほとんどどうでもいいんですよ。
すべてのことは、ほとんどどうでもいい!
大事なのは、自分がどう生きて、どう死ぬか。
そんだけ。
自力本願寺
だよ。
自力本願寺でスッキリ成仏するために、俺ら生きてんの。
嘘かマコトか、何もかもがもうわけわからない世界って、ある意味パラダイスじゃん!
自分が思うことを勝手にわめき散らしたところで、
どうせそんなもん
嘘かマコトか、誰にもわかんないんですから、
何を気にすることがございましょうか?
誰によく思われたら勝ちなんでしょうか?
誰に悪く言われたら恥ずかしいんでしょうか?
誰でもないですよねーーーーーーー
自分の声に従って生きる。
信用できるのはそいつだけ!
ツーわけで、
昨日ささっと思いついて、aboutページを書き換えたんですよ。
見てね。
何もかもがどうでもいい!
という視点で見ると
なんか、あまりにも前のがつまんなく思えた。
「もういいじゃん、そんなこと!」
セルフツッコミ。
それと、マリアグリッドの特設サイトを改修するため、なう、クローズしてます。
早けりゃ数日中に再オープン。
ガシガシやって、気分よく生きて気分よく死んでいきたいものですね。
こないだ死んだ友達、ミサは、
今回の人生のテーマが
「自分でやる」
だったと思う。
人に甘えず、弱音を吐かず、誰かのせいにせず、後ろを振り返らず。
前だけ見て進んだ。
結果、早く死んだけど、
だからって、何?
自分で稼いで自分の治療費に使った。
実にあっぱれだったなあ。
のんべんだらりと長く生きてりゃいいってもんじゃなし。
死を覚悟してから、
自分の骨は、田舎に行くのは嫌だ。せめて分骨して、築地本願寺に納めて欲しいと
自分で調べて、それが可能なことを突き止めて、親友に託けた。
田舎の親は最初意味がわからず、「え、そんな、、、」だったけど
しまいには「ミサの思うとおりにしてやりたい。あの子が東京に残りたかった理由がわかった」と、
人生の最後にして娘の生き様を全肯定。
「とても立派だった、誇らしく思います」という言葉を残し、親娘の確執は、どっかに消えた。
彼女は今、本願寺に眠ってる。
終わってみりゃ、すげー多くの人に愛されてた。
そんなわけで、自力本願寺。
あんな生き様を見せられたら、俺も生きてる限りガシガシ進まないと
って、この鬱陶しい梅雨空に思うわけ。
「なにガタガタ言ってんの?」ってスキあらば怒られそう。
今やヤツの方が立場が上だw
ほなまた!