すさまじい5日間の旅を終えて本日帰宅。
考えてみますれば、
長崎市内→外海→長崎市内〜佐世保〜生月島→平戸→伊万里→唐津→糸島→福岡
よく考えたら九州縦断だった。
すさまじいのは移動距離ということではなくて、自分の内面に起きていることがすさまじいという意味。
前半は巡礼、後半は柱状節理。
流石に情報量が多すぎて、「肉体」ではないところ、皮膚の外の身体がドン疲れ。
巡礼と柱状節理の話が、一見なんの関係もないように見えて、
というか、自分では別なものだと思っていたんだけど、全然そうではなかった。
今回「聖地と柱状節理」に関して、新たな考察を得たんだよ!!!
そして、わずか5日前に長崎にいたことすらすでに忘却の彼方のような気がしていて、
本当に数年前のことのような感じなんだけど、
ちょっと真剣に思い始めたは、柱状節理って人の記憶領域に作用するのではないか?という疑惑。
なぜか、どういうわけだか、今回に限って、出発前に突然ひらめいて、重いから買ったけど一度も使ったことなかった望遠レンズを持っていくことにしたんだけど、
肉眼では判定不可能な遠くの岩肌などがガッツリ写っていて、や、ほんと自分でかした!!!!って、いま写真を見ながら思った。
これあまりにも凄いから、柱状節理についてのわたしの見解のお話会やろうかと思いついた。
ああ、しかし、今回の巡礼旅で得たものは本当に入り組んでいて(わたしの心理が)、
いつものごとく文字にするのが不可能だから自分だけわかっていればいい!とするのではなくて
今回ばかりは、むしろ自分のためにきちんと文章に残しておく必要があると思っている。
・・・しかし、記憶がどんどん消えていく。
やっぱり肉体としての限界を強く感じる。
それにしても全体的に、人になんか会わない、密って何?っていうほどの「過疎地」を巡っていたところからの東京戻りっていうのがこれほどしんどいとは!
パリ(でもミラノでも、どこでも)→東京っていうのとは違うしんどさを感じる。
振動数が違いすぎる。