続きを端折らないで、なるべく書くのだ!頭の中の消しゴムとの戦いよ!
例の老人施設に行ってグリッドを渡したの。
「山と海に挟まれたところです」と前に仰っていたから、そんな景色を想像しながら沈む夕陽をイメージしてこの組み合わせにしたの。
昨年贈ったものは玄関の脇に飾ってくださっていた。
「あのダビデの星?はなんだかわからなかったけど、その上に置いていますよ」。マカバだけどダビデの星でもなんでもいい。どうせおんなじものなんだから。とにかく置けばいいんだから。
「こんな細かいものを、、、、、」と手にとってよく見てくださったから、ちょっと打ち明け話をしてみた。
「シスターにこんなことを言うのはちょっとアレなんですけど、あのね、これね、本当に不思議な力があるんですよ。その、、、、腰痛が治ったり、肩の可動域が広がったり、、、、」(おそるおそる、話半分どころか1/4ぐらいにお話ししてみた。でも本当の使い方について踏み込んだことを言うのはやめた)
「あら、じゃあ、もう一つはお友達にあげるわ。こないだから足腰が痛いと言っているの」
「是非そうなさってください。本当に効きますから」
「まあ、、、、、信仰の力でしょうか」
「あの、、、それがね、シスター、、、、こんなこと言うのもほんとうにアレなことですけど、実はね、どうやら信仰とはあまり関係がないようなんです。だって、何も知らない方が、これを見ないで、電話を繋いだだけで効くんですよ。。。本当なんです。でもそんなことを言うと怪しすぎるから、お手紙には書かないで簡単なメッセージだけでお届けしたんです。カトリックの方ならマリアさまを見て胡散臭いとは思わないだろう、と考えて。。。。。。」
で、父が亡くなった後で、世話になった緩和ケアセンターに贈りたかったが、変な宗教だと思われてしまったらマリアさまが気の毒だから、カトリック施設に無差別に贈った話をした。お電話くださったのはこちらだけだったということも伝えた。
こういう話は慎重にしなければいけないと思っている。わたしの考える信仰と、彼らの信仰は意味合いが違う。わたしは嘘はつきたくない。けれども彼らの信仰を傷つけるようなことを望んではいないんですってことだけは、絶対に理解していただかなければいけない。
だけど、もしかしたら聖母の力を過小評価しているのは、むしろ彼らの方かもしれないな、とは思う。
そしてもし禁教時代なら、わたしはマリア像を作ったかどで幕府に拷問され、イエズス会には教義に従わない件で拷問され、挙句に異端裁判にかけられて私財没収の上、火あぶりだろうから、何回殺されることになるんだろ?
せいぜい「頭のおかしな人」で済んでいる今という時代は平和だ。
この日、外海から市内に戻り、「本河内ルルド」というものがあることを知ったので、そこへも行ってみた。アウシュビッツで身代わりになって亡くなったことで有名なあのコルベ神父ゆかりの場所みたい。
結構急な階段をいくつも上がってハアハア言いながらたどり着く。
お水を汲みに来ていた地元の女性にもマリアさまをあげたら喜んで受け取ってくれた。
これで結構な数が長崎市内に配置されたから、わたしとしては満足。次の課題は東北だなあ。
これ↑を見て、これ↓を思い出した。ファティマで買ったメダイの裏に「汚れなきわたしの心はあなたの避難所だよ」って書いてある。ここでは、リアル避難所なんだと思ったらちょっとクスッとなった。
この1日があまりにもヘヴィだったので、1日を終えてなんだかすごくホッとして、もうすべてミッション終了!のような気分になった。
けど、翌日は平戸に向かう。