昨日のヒカルちゃんの件に続いて「親との関係」の話。
こないだ友達と会った時に彼女が言ってたことが素敵だなと思った。
彼女のお父さんは、「いわゆる遊び人」の代表みたいな人で、なんやかやガバッと稼いでは、ガバッと擦って、あちこちに女を作り、やりたい放題。(世の中に一定数いるよね、そういう昭和おとっつぁん)
ま、どう考えても「いい父親」なんかではないわけだし、当然家庭はメチャクチャ。友達はそんな光景の中で育ったから、幼くして嫌気して、中学ぐらいから「悪く」なり、高校の時にはすでにゴールデン街とかで働いて、とにかく「家を出て自活」」をめざした。
そっから先の彼女はもちろん波乱万丈などという言葉がお子様に見えるほどの熾烈な人生を生き抜いて、女手ひとつで息子を育ててきたわけだが、わたしが知り合ったのは、すでに子供は高校生、彼女は遊び人親父からしぶしぶ引き継がざるを得なくなった飲食店を経営していた。
家族で旅行なら飛行機はファーストクラスだが、自力で生きるとなったら大型トラックの運転席でも寝た。ピンもキリも知っているし、別にどっちでも生きられる。
そんな風に淡々と彼女は話すのだが、まあそんな経験、みんなにあるわけではないから、そういう人の見る世界観というのはやっぱり卓越しているよ。
そんなわけで、数年前にこの世を去った実の父親はとんでもない野郎だったけれど、でも家族でご飯と言ったら普通に「一流のもの」に連れて行ってくれた。子供の頃に覚えた味覚というのは忘れないから、自分の舌が鋭敏なことは、なんやかんや言っても、お父さんからのプレゼントだなと最近思うようになった。
そんなところへ最近考えついたあることがあって、それは「調味料」ジャンルに入るものの話なのだが、極めていったら「この味だ!」とピンとくるものがあり、この味はなんだろう、と思ったら、小さい頃家族でよく行った「●●●●●(店名)のあの味だ!」と思い出したんだよ、という。
だから今、それを再現したらお父さんへの恩返しになるかなと思ってさー。
なにそのむちゃくちゃいい話。
家族に対する「父親の仕事」、「父親の愛情」って面白いなと思う。
それは母性的なもんとはまるで違っていて、子供時代にはわかりにくい。非常にわかりにくい。
わたしだって、晩年は別だけど、父親とは常に諍いがあった。いちいち書かないけれど客観的に見れば壮絶だった。
それでも死ぬプロセスをかけがえのない時間として過ごすことができたし、何より彼は魂の仕組みをはっきりと全て見せてくれた。それはやっぱり奇跡だとも思う。
さらに冷静に考えれば、父も、祖父も頑張ってくれていたおかげで、わたしはひもじい思いをしたことがない。味覚にもやかましかった。それが普通と思っていたけれど、今となったら感謝しかない。
そういった、実にわかりにくい父性みたいなもんを、子供というものは一生をかけて理解し、受け取っていくのだろう。相手が生きてるうちにできれば最高だが、そうじゃなくても別にいい。
ヒカルちゃんも言ってた、「自分も楽になったし、母親も楽にしてあげられたと思う」っていうのが、素敵だなと思った。
親には(存命であろうとなかろうと)いろいろな感情を持つ人がいると思う。
それを無理やりどうこうしなくてもいいと思う。許そう、とか、許さなくては、とか、あんまり思ったところで関係ない。
すべてタイミングというものがあるだろうし、親ではなく自分自身の器がでかくなった時に受け入れられることなんかたくさんあるよ。それで、自分の器がでかくなった時に、親の器のでかさを知って愕然とする、そんな変形マトリョーシカみたいな(ってなによそれ)仕組みなように思うw
でもタイミングが来た時に、閉じていたものがパッと開けるような、そんな柔軟さだけは持ち合わせていたいよね。
世の中には結構素敵な話が転がっているよ。
ほなまた