オサナイカオリノシゴト

KAORISSIMA ENERGY WORKS

「お金の壁」を越えようじゃないか

誰も知らない未来を創造しよう


この話は、お金を稼ぐことがめっちゃ好きでめっちゃ得意だという人には一切関係ないのでスルーしてくださいよ?

 

再三言ってきたかもしれないが、ぶっちゃけわたしはお金に疎い。そもそも数字とは相容れないから確定申告のたびにイミフに吐きそうになる。

お金を稼いで一人前、とか、必死になって稼がなくては!という家に育たなかったことは長年人に言えないコンプレックスだった。高い年収のために働くことも、やってはみたけど全然つまんなかったから、満足できずにとっととその職は捨てた。何がしたいのかわからなくて、「あなたは自分でビジネスをすべきなんじゃない?」と何人かに言われたけれど、「いったい何を?」まったくもって「ポッカ〜〜〜〜ン」だった。すごい楽しくて真剣に仕事した飲食業は、前職年収の1/4ぐらいで、さすがにそれじゃ疲弊した。

もはや自分で稼がなきゃ食えないことになったにも関わらず、「お金のために働けない」この特性は本当に自分を悩ませた。

どうでもいいことだったのが、実はどうでも良くないことだと知ったのが遅かった。

これが自分の「気がかり」である自覚はいつもあったから、いつか払拭しなければいけないテーマだと認識していた。

 

これに関して、昨年Kさんが倒れたことを、わたしは「壁越えチャンス」に充てたことは書いた。

「必死になってお金を作らなきゃ!」という機会があれば学べると思ったから、思い切った額を寄付すると決めて、人々に協力を呼びかけ、達成することだけを目標とした。

「もし達成できたら寄付します」はダサい。「やったけどできませんでした」もダサい。わたしはダサいことが嫌い。

「達成するだけ」と決めればアイディアは出るし、アホなプライドや自尊心、または不安はクソの役にも立たない。行き詰まったら進んで仲間にアイディアを乞うこともできた。

 

これは実に大きな学びとなり、わたしは確実に「越えた」。何って、コンフォートゾーンだよ。

今は今で、破らなければいけない新たなゾーンにいるけれど、でもこの経験から、みんなに「お金の壁」を抜けて欲しいと思っているし、知っているノウハウはすべて開示したいと思っている。

何しろこの壁は、みんなが「厚すぎてぶち破れない」と思い込んでいるだけなんだよ、ってことは言いたい。

 

 

例えば借金をしたら、「期日までにいくら返す」はセットだ。世の中はそういう風にできている。

しかしこれはわたしが決めたルールではないから、自分の場合、「(商品を)欲しいけど、今は払えない」と言われれば「いつでもいいよ〜〜」としか思わない。ので、そうしている。

だし、実際には、正直わたしはすぐに忘れてしまう。忘れることにしているじゃなくて、忘れてしまう。

お客様には、いちいち取り立てることはない。たいていみんなお金の目処が立ったら教えてくれるし、きちっと入金してくれるから、わたしにしたら思わぬ入金に「ラッキー!」と喜んでしまうようなバカである。

 

払うことに関しては、なぜか公的な料金の支払いに関して、クソだらしないが(こないだ「大はらい」だからごってり払って、スカスカになった)

でも、人が立て替えてくれたり、もちろん仕入れ業者さんなどには、できる限りすぐに払うのは当たり前だと思っているし、お金の使い方は自分なりにすべて満足しているから問題ない。

 

さて、

そのK氏が元気だったころ、どういう文脈からか、「スピの人たちは内向きだから、お金を稼げないんですよね、、、」とこぼしていて、イミフで返す言葉なく「ふ〜ん、そういうものかねえ、、、、」とその時は思ったが、今、その意味が非常に非常によくわかるようになった。

 

要するに、視点が外に向かず、相手側のメリットより、自分の内側を優先している人たちのことだな、と思うに至った。

お金とは、自分と、自分以外の誰かの間に成り立つものだ。

当然、自分以外の誰かのことより、自分の内側にしか目が向かないのだから、稼げるわけがない。

確かに「問題は全て自分の内側」にありますよ?でも、その内側だけ見つめてても、問題は解決しないでございます。

 

 

お金、と言うより「商売」の話だとする。

商売であるならば、商品や技術、サービスを提供して対価をいただくわけだ。

ところがスピの人(十把一絡ですいませんね)ってのは、「マーケティングの話をしているのに、なぜか自分の内側の話を深掘りする」という特性があることに気づいた。

例えば、「このキャッチコピーではキモが伝わらないんじゃない?」といった場合に、考えるべきは「コピー文章の是非」であって、「なぜ、コピーが書けなかったのか」ではないんだよ〜〜〜〜〜。

誰だっていきなり書けない。書けないなら書けるようになればいいだけで、そのためには「キモが何か」を整理すればいいのだが、いきなり「わたしはホニャホニャだから、そうなっちゃうんだよね」(知らんがな)とか、「そういうのやったことないから、、、、」(誰でもはじめはやったことないわ)とか、いきなり「自分語り」に展開させていく。

それ「自分ビジネス」ちゃいますよーーーーーーーーーーーーーーーーーっ

そして勝手に自分のトラウマだかインナーチャイルドだかを発動させて、いじけたり、拗ねたり、キレたりになる。それインナーチャイルドちゃう!!ただのチャイルド〜〜〜〜〜〜〜(IKKO風)

悪いが、誰もそんな話に興味はない。あなたの「できない理由」を聞いたところで、何かが解決するとは思えない。

え、あなた「自分の商売」をよりよくしたい話だよね?・・・・違うの?

 

つまり、何がしか責められていると感じるのか(って、そんなにヤサ〜しく十分な気を遣って言われないと気が済まないのか)、一発で完璧にできないことに対しての言い訳を求められた人生なのか、いずれにせよ、強烈な弱者信念の方角に爆進していく。

で、肝心の「なんでこれでは伝わらないのだろう」という視点はすっぽり抜け落ちていて、簡単にサジを投げたり、「自分のやり方」(なんだそれ?)に固執したりする。

自分のやり方は「自分の考え方」があった上でのみ有効で、その「考え方」とは、商売の展開に対する考え方であるはずなのに、なぜか「自分自身という虚像の捉え方=おかしな自己愛とかおかしな自己憐憫」を考え方と勘違いしているケースが非常に多い。

 

こんな調子だから、そのサービスなり技術なりを客観的に見ることはなく、つまり、要するに「客の立場になって考える」ということはできないままに終わり、当然お客はつかず、モチベーションは下がり、継続は難しくなっていく。

その気配を感じると「わたし、向いてない」とか「それがやりたいわけじゃない」とか、また新しい離脱の理由を求めて彷徨う。

「客の立場になって考える」は商売にとっての命題で、「普通の人」(誰だそれ)はみんなそこを日夜考え、正解を導き出そうとトライ&エラーをしている。

そう、「普通の人」は努力をしている。うまくいっている人は、間違いなく、わたしやあなたより何がしか頭も労力も使っているよ。

 

この、「客の立場になって考える」は、「相手の立場に思いをいたす」と同じことで、誰もが簡単にできることなんかじゃない。けれども、少なくとも「調和」を大切にしたいのなら考えざるを得ないテーマなんじゃなかろうか?

だいたいあなたは全世界に名を知られたブランドですか?街を歩けばみんながあなたの顔と名前を知っているのですか?黙っていても予約が埋まりますか?

そうでないなら、一生懸命「知ってもらう努力」をしたり、相手(お客)にとってどんなメリットがあるのかを提案するのは当然のことで、そこはせずして「エネルギーが上がったら勝手にお客が寄ってくる」などと思い込んでいるなら、

どんだけあなたはそのままでいい教なんだよ

って思ってしまう。

どんな鏡をお持ちなのか、「自己像」がやたらと肥大化してるんだよな。

 

 

これね、結局は、自己肯定感の話に戻るんじゃないかってわたしは思っている。

こないだもどなたかが言っていたのをシェアしたけれど、外部からは、浄化だの除霊だのエネルギー注入だの、「お手伝い」としてはできるけれども、最終的な自分の課題は自分で超える以外にはない。

弱者信念が渦巻く自分カッケーーーー!!!!!

って心底思える人なら、それは良い。

でも、そうじゃないなら、やっぱ自己肯定なんかできていないよね、っていうところに戻るわけだから、そこを超えるために「商売」は格好のツールだとわたしは思っている。

人は結局、「自分で何かやって、うまくいった」という成功体験を得ることでしか自信を得られない。

自信を得るための動きをしないんだから、あなたに自信がないのは当然のことだ。

成功体験はどんなにプチでリトルなことでも貴重で、そんなプチでリトルな小石を積み上げる力がついたら、いつか重量挙げ選手になれる(かもしれない)。

お箸以上のものは持ちたくないくせに、五輪で勝てると思う人はいないわけだから、やらないことはいつまでたってもできるようになるわけがない。

 

そう、商売は、お金のためにやるわけではない。

自分自身の学びのための最適な「道具」として捉えられるか、という話だとわたしは思っている。

お金の話は非常に深くて、そんな苦手意識を自分が克服できたら、他の人にもノウハウを教えてあげられる!→ みんなでもっと良い循環を生み出せるじゃ〜〜ん

という発想を持てるかどうかもキモかと思う。

だって、「お金が必要ない世界」になったら、何かを分け与えたり、何かしてもらったお返しに何かをしてあげるとか、「有益な情報の交換」だとか、必ずしも貨幣の等価交換をベースとしないことになるんだよ。自分にできないことを誰かにしてもらう、その対価は必ずしも貨幣であるとは限らない。

たかだかお金程度のことで、なぜそんなに固まるのか。それって結局は、お金を極端に崇めているか、極端に無価値とか、忌むべきものとしているか、なんじゃないのかな。

それって、そのまま人間関係なんじゃないのかな。

 

 

で!!!!!

ここまで言ったからには!!!!!!

わたしは1つ、スンバラシイことを思いついた!

(自分天才!!!!!!)

 

このお金の壁。

超えたいと思ってる人がみんなで超える。

そんな企画。

名称未定。

 

まじ、天才かと思ってます。

 

続報を待て!

 

 

ほなまた〜!

 

 

「自分の壁」を破って進化したい人は個人講座へどうぞ!

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