KAORISSIMA

ENERGY BOUTIQUE

面白くもないのに笑う人

70年代も終わろうという頃の、初期のサザンのアルバム「タイニイ・バブルス」に

「働けロックバンド」という曲があって、「TVに出て一曲歌う」ということの虚しさやイミフさを織り込んだ歌詞になっている。

忘れるわけもなくT.V.Show
その気もないのに笑う事ばかりじゃ

 

あー、考えたらそうだよなあ、、、、って、当時思った。

わたしは、テレビ局勤務だった父のせいで「TVなんて全部ウソ」「タレントなんて商品と同じ作り物」と子供のころから不機嫌な調子で言われ続けて育ったわけで、意味不明だし嫌だったんだけど、

この曲を聴いた時、お茶の間(死語w)に「いい雰囲気」を届けるために、面白くもないのに笑顔を強要される人たちがいるってことに気づかされたんだった。

 

ま、そんな話はともかく。

 

掲題の件について話したい。

まあ、日本人の愛想笑いはイミフで不気味と思われるっていうのはよく言われることだけど、

「自分の本心に気づく」とか「魂の望む生き方」をめざす一方で、「面白くもないのに笑う人」っていうのがいる。

自分で話しながら、末尾にアハハーとかウフフーがある人。

これ、「愉快なおばちゃん」特有の、何が面白いんだかわかんないけど本人笑い出して、つられて笑っちゃうようなケースとか、

自虐的な意味合いや、シニカルな意味を含んだ笑いとかでもなくて、

世間さま的には不謹慎だけど、その人にとってはウケるポイントがあるんだなっていうケースとも違っていて、

ましてや「笑いヨガ」みたいな爆笑による健康増進意図みたいなものとも違う、、、、

というか、それは少なくとも腹の底からの「爆笑」ではない。

ちょっと説明が必要かもしれない。

 

とにかく、それが出ると「ああ、自信がないんだろうな、、、、」って見てる。

 

しつこいけど、何をおかしい(ウケる)と感じるかはその人の感性だから、ことの善悪はナシにして、とりあえず自由なんだよ。

わたしなんか、不謹慎の権化だし、話の途中でなんかの拍子、なんかのトリガーで全然関係ないエピソードが脳内再生されて笑ってしまうことなんかよくある。

でもそういう時には必ず「笑う理由」があるわけだよ。(たとえ公然とは言えなくても)おかしいと思うポイントがあるから笑うわけで。

だから仮に「なんで笑ったの?」と聞かれたら、返答するかどうかはともかく、そして相手に理解されるか、相手もおかしいと感じるかどうかもともかく、おかしい理由は「ある」。

 

だけどここで言っているのは、SNSへの反応も含めた、「パターン化」されてる理由なき笑いのこと。

仮に「それ、、、おかしい?」と聞かれたら、真顔になる以外にないケースは、

「自信のなさ」を端的に表現している。

 

じゃ、なんの自信かというと、自分の感性に対する自信でもあるし、

素直な(無防備な)反応を晒すことで相手に受け入れてもらえるかどうかの自信でもあるように思う。

「とりあえずニコニコしておけば相手は悪い気分にならない」知恵は、まったくその通りなんだけども、

「相手に受け入れてもらうことがすべて」で、無意識にこれをやり続けてしまうと、自分の「魂の声」なんかは聞こえなくなるよね。

これはしかも、深刻化していくと、決定的に相手の信頼を失うことにもなりかねない。

「空気を読め」という意味ではなくて、相手が真剣に語っている話を、いつも「意味がまったくない笑い」で受け止める人って

嫌われたくないが転じて信用されない、という罠が待っている。

少なくとも、みんなが笑っている中で、真面目に一石を投じることはできない(そして流される)ということはあると思う。

いま散見される多々の社会問題なんかは、実はこういう「同調」の積み重ねによってできたものだって多い。

 

この「意味のまったくない笑い」は、「明るい人だと思われたい」から来ることもあるかもしれないけど、

「明るさ」って、そういうものじゃない。

たまに出る仏頂面とか、時に不機嫌な気配を撒き散らす人だって、「暗くない」人はいる。

明るい・暗いは、わたしに言わせりゃ、ほとんど「生まれ持ったもの」なんじゃないかとさえ思っているから、努力してそう見せるということはほぼ無駄だし、

本来の自分とのギャップを発生させるだけだから、それも「魂の声」からは遠くなる。

 

で、こういうことは習い性というか、意識的にやっている反応ではない「ただの癖」に過ぎないところもミソなんだよね。

「自分を見つめる」って、

「わたしには自信がないんです。怖いんです」ばっかり言うのじゃなくて、

「何が怖いのか」をもっと細かく細かく特定していく作業。

だからキツイ地道な作業。

 

「超える」ってことは、習い性でやってた癖をやめて、素の自分で勝負してみて、「なんだ、大したことなかったじゃん」て知ること。

自分の習い性に「自ら気づく」が自分の作業タスクで、そこに気づかなければ見つめてる方向がちょっと違うんだよ〜ってこと。

 

 

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