とにかくとっても小さかった頃、父方の祖母と叔母に連れられて、新幹線で大阪に行ったのは、一体いつのことだったのだろう。
「かおりちゃん、初めての「ひかり号」ね!200キロ出るのよ」と、なぜか祖母の方がワクワクしていた風だったのは、戦前、戦中、終戦を経験した祖母にとって「夢の超特急」は、暗黒の時代を抜けて「良い方向に向かっている」という実感をもたらす象徴だったんだろうな、ということが、本当に「今」わかった。
実際わたしはと言えば、車窓の向こうに見える風景がほとんど変わらないこと(当時は見渡す限りずっと田んぼとか、いわゆる「田舎の風景」だった)と、あまりにも安定した走行だったことからか、ワクワクするどころか「なんだ、横須賀線の方がずっと早い!」と素直な感想を言ったものだから、その辺の人たちが笑っていたのを思い出す。
万博会場跡の「太陽の塔」は形も顔も異様で、「怖い」と言って泣き、ぶすくれた表情で写っている写真がどこかにあったなあ。
EXPO70と書かれたロゴのついた物も、なにがしかしょっちゅう目にしていたけれど、それが何を意味するのか、どうして人々が熱狂したのか、小さいわたしには皆目見当もつかなかった。
戦争に負け、ボロボロになり、日本には貧しさだけが残ったけれど、それは自由を得たのと同じだった。
物心共に傷を負った人々は、過去を忘れるために、一刻も早く豊かさを手に入れるために、立ち上がり、懸命に働いた。
考えれば、自分が生まれたのは敗戦からわずか23年後、たったの23年後のこと。
今から23年前と言えば1998年。実につい最近の感覚だ。
科学と技術の進歩が人々を豊かにすると誰もが信じていた。実際、日本の科学技術は大したものだった。もちろん生産力もだ。
小さかった頃、すでにたくさんのSONY製品があったし、ナショナルのものも、日立のものも、東芝のものも、三洋のものも、そうそうシャープの電卓もあった。
そして熱狂はバブルと言われる頂点に達し、プラザ合意で水泡に帰した。
敗戦からプラザ合意まで、たったの40年。
プラザ合意から現在まで36年。
ほぼ、同じに等しいスパンだ。このことを今日まで考えたことがなかった。
ああ、なんだかそんなことを、そういった「歴史の推移」と、それに伴う人心の機微を心するに十分なお年頃に、わたしはなったんだなあ、、、、という感慨、
そして言葉にならないあらゆる種類の感慨が、今回「太陽の塔」を見たあとの自分に、ふと押し寄せてきた。
太陽の塔。
当時はこの塔の前に階段があったと思う。
あの時代、この岡本太郎の思想を、一体何人の日本人が理解し、腹に落とせただろう。
日本全土が、行け行けドンドン。
技術だ!進歩だ!発展だ!と「信仰」していた時代に、「そうではない、根源に還れ」「生命の躍動を讃えよ」ということを
この巨大建造物をもって表現していたんだ太郎。
この凄さ、このカッコよさよ。
入館してすぐに展示されている構想段階でのラフを見て、心震えてすでに泣きそうになった。
そこに「根」というキーワードを見つけたからだ。
ひろがることによって逆に根にかえっていく
嗚呼、そう!そうなんだよ!そうなんだよね!
そして続々と続く「塔」のコンセプトに螺旋やDNA、さらに「地下の太陽」というものを確認しては、
自分の方向感が大いに肯定されたような、よりどころを得たような気持ちになり、(ユーミン然り)ああそうか、わたしはそういう存在を必要としているんだな、と知り、
また、同時に
「理解されようなどと思うな!」と喝を入れられた気持ちにもなって、本当に感慨無量。
先にも書いたが、太郎が本当に言いたかったことなんて、当時誰も理解しなかっただろう。
もちろん、今だって。
そしてあの頃、太郎はほとんど「ただの基地外」扱いされていたことだって、わたしは覚えている。
そしてそのことを、太郎は決して気に病んでいたとは思えない。
だけど真の偉大さは、時の流れだけが証明してくれる。
「理解されるもの」なんて、たいしたものではないし、説明をすればするほど真実からは遠くなり、力は削がれていく。
そして「わかってもらえなくてもいいんです」とか「人に評価されるためにやってません」とか、そんな「前提」をつけること自体がすでに保身であり逃げでもある。
もちろん、そんなことはわかっていたつもりではいた。
でも「つもり」は所詮「つもり」。
そして自分の中に「何かモヤモヤしたもの」があったんだなーということを、気づかせてくれた。
というわけだから説明はしないけれど、わざわざ見にいく価値がある。
エッグ・オブ・ライフやDNA。
生きていることの喜び。
人類の進化というものが生み出す「矛盾」。
また、建築課程の写真を見て、別な側面からも胸が熱くなった。
今ならいくらぐらいの換算になるのだろうか、このようなコンセプチュアルアートに当時の金額で、全体総工費約26億を投下できるような国だったんだ、ということ。
そしていろんな政治家や丹下健三をはじめとする大御所たち、ゼネコン各社、技術的な現場の人々、名もなきおっさんたちが、それぞれ力を結集させた様子がありありと瞼に写る。
何かパーツが出来上がって歓喜に沸いたり、安堵したり、1日の仕事が終わってビール飲んだりしたんだろう。
そして完成となった暁には、すべての人がいかに誇らしかったことか、目に見えるようで泣けてきた。
そしてまた、技術の進歩と調和といったテーマに反発した太郎の表現自体が、大いなる技術進歩に支えられて完成を見たこと、
それゆえに、「後日の我々」が、その偉大さをこうしてかみしめることができる、ということ
それもまた大いなる矛盾であり、我々は常に常に大きな矛盾の中に存在しているんだよね。
それは肉体を持って生きる者の宿命であって、矛盾なき世界に我々は存在できないのだとも思う。
また、わたし自身として、二元性から抜け出した以上、さらに次の地点に向かうには、新たな次元での二元性(自分へのダメ出し)に遭遇してそれを超えなければいけないのと同じことかな、とも思ったりした。
前日、「太陽は沈み、そして昇る。それを繰り返している(だけ)。常に陽の当たる状態などということはあり得ない」ということがスコンと腹に落ちたばかり。
多分次に来る苦しみ(今がそうかもしれないけれど)も、それ自体が森羅万象と同じく自然の摂理なのだろう。
どんなに行っても、その繰り返しがなくなることはなく、それゆえに人は生きられるのかもしれないね。
星田妙見に行くなら、とふと思いついた「太陽の塔」。
その内部があまりにもすごいと聞いてはいて、いつか必ずと思っていたんだった。
でも、もしかしたら今回、「星田妙見」さんが「太陽の塔」に案内してくれたのかも知れないと後から思った。
星の導きで太陽に連れて行かれたとしか思えない。
偉大な先人たちは北極星のごとく、行く先を示してくれるものだ。
頑張ろう。
ただ、やるのみ!
ほなまた
見ています!ついていきます!!(号泣しながら)
追伸:生まれて初めて、宿便を出せましたww