そうだ、この話を書いておきたいんだわ〜〜。
大阪に向かう朝のこと。
鎌倉から乗った横須賀線にはボックス席といって、向かい合わせ4人がけのシートがあり、すいてたからわたしと友人はそれぞれ荷物を正面において対角線上に座っていたんですわ。
通勤客がまだいる時間帯だということは、そら確かにすっかり忘れていたわけだけど、ある駅から乗ってきたオッサンが、ものすごい勢いでボックス内に突進!!本当に目にも留まらぬ速さで!
ものも言わず、というよりその突進動作にコンマ1秒の「止め」もなく、そこにおいてある荷物の上に、そのまま躊躇なく座ろうとしたんだよ。
慌てて荷物をどけて、バッグの上に座られることは回避できたんだけど、本当にびっくりしたよ。
正直マジ怖かった。
だからマジやばいヤツなのかと思って、トイ面に座ったその顔をまじまじと観察して(顔に精気のないややオタク系サラリーマンだった)、一連の動作から変な行動に出る気配でも感じられたらすぐ動けるように、心の中で密かな厳重警戒態勢をとったよ。
でも、友人の前に座った人も似たり寄ったりで、やっぱりものも言わずに座ろうとしてたもんね。
それってマスクがもはや顔の一部になってるせいなのかな。
口を開くのもめんどくさいのかな。
ちょっと本当に恐ろしいことだと思ったんだよね。
一言声をかければいいようなものを、、、そう、百歩譲ったらむしろ愛想の必要すらないと思うんだよ、ぶすっと「この荷物どけてくれます?」だけでもいい。
あるいはどかした後に「どうも」だけだっていい。
別にこちらは座席を占領する気があったわけじゃないし、お疲れの人は座ったらいいと思ってます。
だけど、一言も発さず、表情すら変えず、
この人たちは、もはや人間だけに与えられた特権である「言語」と「表情」を自ら放棄してしまったのか!
と思ったら、なんとも言えない薄ら寒い気分になった。
太宰は「人間失格」と言ったけど「人間降格」はそれ以上じゃない?
聞けば、他の友達も、グリーン車でわざわざ隣に置いたバッグの上に座られたことある、とか。
完全な「嫌がらせ」としての「バッグ潰し」も一定数いるのか!
何が楽しいのかバッグクラッシャー!誰かの尻に敷かれているから、何かを尻で潰したいのかオッサン!!!
ああ、日本の、というか首都圏のオッサンに何がおきているのだろう。。。。
・・・って、
何が起きてるかと言えば、つまりこういうことだろう。
品川駅の広告「今日の仕事は、楽しみですか。」に批判殺到→1日で取り下げ、掲載元が謝罪
要するに楽しくないんだよ、日々が。
そして、そんな家庭は楽しくない、、、、さらなる悪循環、、、、
でもさ〜〜〜〜
横須賀線て、日本の中でも「客層が決して悪くはない」路線だと思うんだよ。
少なくとも、わたしが20代のころ、満員の通勤電車にはいろんな人がいたけれども、オッサンたちはもっと優しかったよ。そうそう、よく考えたらそうだよ!
そらもちろん変なオッサンもいた。でも変なオッサンの変な動きを見つけて、そいつから守ろうとしてくれたオッサンだって、わたしは何人も経験した。
疲れた帰りの電車でも、空きそうな席の前を教えてくれたオッサン、自分が降りる前に黙って手招きして座らせてくれたオッサン、、、、
やだーーーー、考えたらめちゃくちゃ優しかった昭和のオッサンたちがいたじゃん!
オッサンだって疲れていただろうに、、、、、、(そうだよ、あの頃はリゲイン飲んで24時間戦えますかとか言ってたんだよ〜〜〜〜)
ありがとうオッサン!振り返ったら泣ける!
ええ、ええ、もちろんそりゃあね、当時はわたしだって若く、みずみずしかったかもしれませんよ。オッサンの保護者ゴコロを刺激したかもしれませんよ。
でもね、今のオッサンたちに、若い子を守ろうとする人いるーーーーーーーーー?
町なかで、女の前で「いいオッサン」を演じたろという心の余裕は、とっくの昔になくなってしまったのではないの?
少なくとも、空いた席に突進するオッサンを見るようになったのはここ10年ぐらいのことのような気がする。だって、それ以前は、その行為は「昼間のオバハン」のものだったんだもの。
いやーーしかし、それは単なる「日本人の劣化」と言っていいんだろうか?
オッサンだって、好きでそうなっちゃったわけじゃなかろうに、、、、、
とにかくかなりの衝撃に、ちょっとトラウマチックな心情を抱きながら大阪に向かったのよ。
しかし!
大阪に着いたら、いきなり人々に余裕を感じて気分が良くなった。
こんだけ違うか〜〜〜〜〜?
コーヒー屋のバイトの人とか、毎日大量に客を捌く職業の人々なんか、首都圏ではみんなロボットみたいなのに、まるで違う。
だけど大阪だけじゃなくて、この現象は東京を離れると必ず感じることだから、やっぱ首都圏が異常に疲弊してるんだろうね。
星田妙見宮では、参拝に来ていた地元のオッサンが話しかけてきて、この後磐船神社に行くと言ったら、社務所の人(ひょっとして宮司さんだったのか?)に「タクシー呼んだったらええわ」と声かけてくれ、その後磐船神社に着いたら、その宮司さん(?)から電話がかかってきて、何かと思えば配送をお願いしていた額入りのお札について、ご丁寧に「お届け時間の希望あります?」という連絡だったりとか、、、、
あんた鎌倉で八幡宮がそんなことするか?(ないよ!ないない!絶対ない!)
と考えて、本当にしみじみしてしまった。
みんな親切だし、血が通っているというかね。
タクシーの運転手さんも、河内磐船駅前のたこ焼き屋の兄ちゃん姉ちゃんも、普通に肩肘張ってない世間話してくるし、
コミュニケーションが「人慣れしている」というか、こなれている。
本当に東京を離れるといつも感じることなんだけど、この差ってどこから来てるんだろうね。
今や日本全体が「忙しく、貧しく、規則と規制が多い」のは同じなのにね、非首都圏はまだ「人間らしさ」が残ってる。
ま、わたしとしてはその答えは「関東平野に山がないから」だと思っているんだけどさ。
要するに、ただでさえエネルギーが流れようがない土地に、人が密集しすぎていて枯渇(=気枯れ)してるんだってことだと。
だからみんなやさぐれちゃってんだよ。
みんな、週末は山に行ったほうがいいよ〜〜〜〜〜
ま、とにかく、朝やなことがあって凹んだのが、午後にはそれが補填されてお釣りがきたみたいなもんだ。
ちなみに翌日の太陽の塔でも、入場口や客の誘導係みたいな退屈と思われる仕事のお姉さんたちも、普通に「枯れてない人間」だった。
その後行った名古屋でも、枯れている人いなかった。
他人の芝生がよく見える現象ではないと思うね。
だけどさ、首都圏のオッサンたち、もういい加減に従順な羊でいるのはやめて、
反乱を起こしたらどうなんだろう。
オッサンの乱!
オッサンルネッサンス!
みんな、もうやーめた!ってなったらいいのに。。。。
全てのオッサンが動きを止めたら、変わるよ?
支配者層の皆さん困っちゃうよ。
だけど、そうならないのは、結局「経済」でしょう?
オッサンたちが不愉快ながらも、砂を噛む思いで通勤しているのは、結局「生きていかななきゃいけないから」「子供を養わなきゃいけないから」でしょう?
結局、すべての問題の根源は「お金」なんだよ。
オッサン個人が悪いわけじゃない。
選挙も近いですね。
大西つねきさん一人でどうにかなるのだろうか。
でも、みんなが「根源的なお金の問題」に着目しなければ、この状況は変わらないよね。。。。
ほなまた