わたしは音楽というものが好きで、たぶん、このことがわたしの人生にものすごく大きな影響を与えてきたんだと思う。
まだ自意識などない小さな頃から、我が家ではあらゆるジャンルの「LPレコード」がかけられていたから、わたしにはそもそも音楽ジャンルを分ける感覚がない。
だから誰かの「洋楽を聴き始めたのは、、、、」という表現を聞くたび、人はそんな風に分けるものなのかとびっくりしたりしていた。
とにかく、大人になってしみじみ振り返るに、音楽はわたしのあらゆる感性を刺激してくれたし、音とリズムを通して行ったことのないいろんな国や言語、文化的土壌やら何やらに想いを馳せ、興味を広げることができたと思っている。
そう考えてみれば、映画や小説、服飾や料理も同じなのだが、やっぱり音楽は特別なもので、「値踏み」することが決してないものだと最近気付いた。
それがいつだったのか思い出せないが、最初にABBAを聴いた時から完全にもっていかれた。
彼らの活動期間は1974〜82年だから、わたしが小学〜中学まで、この間にきらめく星々のような曲を残して活動を停止した。
今、彼らの新しいアルバムを手にしていること自体が、発表された時から待ち望んでいたとはいえ、なんだか嘘のようで現実離れしている、まさに夢を見ているようにしか思えない。
「もう二度とABBAの新曲は聴けないんだ、、、、、」と落胆したあの頃の気持ちが、遠い記憶の引き出しから蘇ってきた。それはそれはショックなことだった。
完璧で多彩で美しい音楽といったら、やっぱりQUEENとABBAじゃなかろうか。
2組とも、妥協なく完璧な楽曲を作って完璧な演奏とハーモニーで、完璧なレコーディングをしていたんだなって、大人になればなるほど、聴くジャンルが広がれば広がるほど、彼らの凄まじさがわかった。
新譜発表のアナウンスの際に開設された特設オフィシャルサイトに即刻登録しておいたら、先日FBのオフィシャルファンコミュニティに招待された。
そこでは世界中の「わたしみたいなファン」が、その音楽をもう聴くことはできないと思っていたみんな(ってことはつまり世界中のABBA世代)が、
ワクワクと喜び、そして4人への賞賛と特大の感謝を、南米からロシアからインドから、世界中の言葉で表現していて、
それはなんと感動的なことだろうと思った。
40年の時を超えて、ストックホルムのたった4人の人たちが再び集まったことが、世界中の胸を熱くさせている。
そしてこの間、世界中のみんなに等しく40年の人生が流れて、わたしにそうだったように、世界隅々のそれぞれにいろんなことがあったんだろうな、、、と思ったら何故かじんわり泣けてきた。
世界中で共有したいくつかの出来事もある。ベルリンの壁崩壊、湾岸戦争、911、そして今「流行り病と注射」。
わたしたちは全員、あの当時持っていたきらめきは、とっくに失っている。世の中から根こそぎ失われたからだ。
でも、今またあの音を聴けるということは、さまざま乗り越えて、今生き残っていることへのご褒美のような気がしてきて、崇高なありがたささえ感じる。
実際、ファンの何割かにとっては、年齢を考えれば非常にリアルな「冥土の土産」だろう。
いや、本当に大げさではなく、
今日までヨレずに生きてきてよかった!!!!!!
サウンドは丁寧で質が良い、完璧なABBAで、凄まじいとしか言いようがなく、今の世界に失われてしまった良質なポピュラーミュージックの要素が全部詰まっている、つまり「大人の鑑賞に耐えるもの」だ。
ディスクを入手して大音量で聴くと、Youtube音源とは比較にならない厚みが実際にはあるから何を差し置いても買うべし。
そして、この世界に40年が経過したことを写す、非常に含蓄に富んだセンシティヴな歌詞(なかにはDVかアルコール依存かを扱ったものものある)は、「夢のような世界」ではなく現実に生きる我々の世界の表現で、考えさせられ、みんなこころ揺さぶられているのがわかる。
「やる」となったらこれだ!という完璧なものを作ってくる。70オーバーが集まったただの同窓会じゃないからプロフェッショナルってつくづく凄い。
あの当時は1枚出るたびに、親に買ってもらっていたんだよなー、、、、、と小さな買った自分を思い出しながら、思わず全CDのボックスセットも買ってしまったよ。お賽銭がわりに(笑)
良い音楽っていうのは、もはや音楽以上のものなんだよな。
涙溢れる。
ストックホルムの4人には感謝以外の言葉が見つからない。
ありがとう!いつまでもお元気で!