既知外の皆様、
例によってウカウカしているうちに会期を終えそうになってしまい、慌てて行ってきた「楳図かずお大美術展」。
楳図かずお先生。
一口に「天才」と言ってしまえばそれまでなんだけど、天才って言葉も大量消費されがちな今日この頃、彼は正真正銘の天才で
まさに「既知外のなかの既知外」、というのは常に「誰も見たことのない世界」を「誰もやらなかった表現」で表した人。
そして
1982年の段階で、「産業用ロボットが意識を持つ」という設定の大作漫画を描いていたとか、
とにかく凄まじく予見的な作品ばかりを世に投げかけてきた人。
わたしが深く敬愛申し上げないはずがない。
日本は、いつの時代でも、とてつもないクリエイター、とてつもない表現者を生んできたと思うけれど、
悲しいかな、民衆には「芸術を鑑賞する目」がないと思う。
というか、美術一般、表現一般に対しての「評価の心得」というか、「なにを、どう見るのか」という基礎的なことは、
義務教育の中で教わったりしないので、物好きな芸術愛好家以外は「絵の見方」を知らない。
その意味で、文化水準がメチャクチャ低いと思う。
低いくせに「絵に見方はありません」とか「好きな作品を好きなように」とか言われても、
ほとんどの人は、その作品なり作者なりが「有名かどうか」程度のことしか気にしないし、
オークションでいくらで売れたとか、そんなことしか話題にならない。
漫画っていうのは、
画力だけじゃなく、連続する場面の構成力、コマ割り、ストーリー力などなど
平面美術の中でも最も複雑で難易度の高い仕事なはずだが、
日本が誇る一大芸術にして一大産業でもあるのに、
それがいかに凄いものなのかは、フランスで評価されることによってようやく日本人も凄いと認識する、、、、
もちろん漫画だけじゃなくて、草間彌生先生だって同じだし、黒澤明だって北野武だって同じ。
全部正当な評価をするのは海外で、「誰かが凄いと言っているから凄い」みたいな感じでしか受け止められないのが日本というものだ。
そんな背景から、
自分の天才性、作品の芸術性が認めてもらえない虚無感で、楳図先生は一時期筆を折ってしまった。
それがフランスのアングレーム国際漫画祭で正当な評価を得たことで、やる気を取り戻し、
漫画ではなく101枚の連続した絵による作品を仕上げたのが今回展示された
『ZOKU-SHINGO 小さなロボット シンゴ美術館』だった。
実に凄まじかった。
見終わって「元気が出ました」とか「勇気をもらいました」とか「希望を受け取りました」系のものとは対極。
見終わって、会場から出て、ドン疲れ。
帰りの電車で爆睡し、帰宅してお風呂の中でも爆睡した。
なんでこんなに疲れてるんだろとちょっと考えて、そりゃそうだなと納得した。
芸術家が命がけで、「やむにやまれぬ情熱」を叩きつけてきた作品と対峙したわけだから、そりゃ相応のエネルギーを持っていかれるわけだわ。
そして「生半可な愛」なんかじゃない、人類存続の危機に対する「問いかけ」を食らってるわけだから、そりゃあ疲れるわ。
「やむにやまれぬもの」があるかどうかが、真の芸術家とそれ以外の分岐点じゃないだろうか。
キレイキレイなだけのアートは、別に芸術ではないと思う。
わたし個人としては、常にどこかで
「人類が地上から消え去ったって、地球は特に困らない」
という思いを持ち続けているせいか、
共感とも違う、なんとなく「わかる」気がするんだよね。
展示の最後に、地を這うイモムシの映像が掲出されていたのが印象深かった。
まあ、わたしの場合「進化」には興味があるけど、「生き残りたい」にはまったく興味がないんだよね、、、、、
みなさま、会期残りわずかだけど、是非ご覧になってはいかがでしょうか。
あ、インタビュー記事見つけた。
楳図かずおさんが27年ぶりの新作『ZOKU-SHINGO』に込めた思い 今の漫画界を「商業主義」と苦言も