愛すべき少数民族である既知外の皆様、
こないださ、ユーミンのコンサートに行ったのね。
秋に、横須賀で皮切りに行ったのと同じ全国ツアーがまだ続いていて、今はその中盤、国際フォーラムです。
わたしはどうしても、2度見たかったんだ。
このクラスの人のパフォーマンスが、「初め」と「終盤」で、どのように違うのか、またどのように違わないのか、を見ておきたかった。
で、3月が終盤と思ってたら、7月まで続いて、東京は6月後半にまたあるんだわーーーー😲
そしてわたしは、心底驚いた。
うわーーーーーーーーー!
と思ったんだよ。
当然ね、あの年齢だから全盛期と比べて全体的にキーは下がって野太くなってる。
そのぶん、高音部はキツくなるから、ほとんど裏声のファルセットになっていたのが「初め」。
つまりある一定の音域になると、いきなり「声楽家か!」みたいな声質になってしまうのが秋だった。
例えば ♪誰か〜 やさしく〜わたし〜の 肩を抱いてくれ〜たら♪ の箇所とか
♪ 空〜に あこがれて〜 空を かけ〜〜〜てゆく〜♪ とか
ぶっちゃけ、そんなことはあの方であればほとんどどうでも良いし、それどころか、高音が出なくなってもやり続けてるユーミンがカッコいいんだけど、
しかし、そうは言っても、そうは言っても、、、、わたしは聴覚の人だから、そこはけーーーーっこう神経に触るというか、聴いていて密かに「うっ」ってなってしまうところだった。
これは決して重箱の隅を指摘したいわけじゃなくて、あくまでもわたしの鋭敏な感覚の話で、特定の箇所はいかんともしがたい「心地悪さ」だった、という話。
しかし繰り返すけど、ユーミンの価値は、そういうところにはないというか、
もうあの声の振動で泣けてくるのと、そのエネルギーを全国に届けようと、ほぼ毎日2時間唄い、踊りながら日本のどこかを回っている、という事実に心震えるものがある、
本当に「特別な人」だと思うよ。
ところが!
今回のライブでは、「そこ」が修正されていたんだよ!!!!!
こっちはわかってるから、身構えてる。ある意味防御だよ、「来るぞ、来るぞ!」って意識している。
だけど、秋には「その箇所だけ別人」だったのが、今回は「同じ人」の範囲内に、きっちり収めていたんだよ!
スッゲーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!
ほんっとに凄い!と思った。
毎日唄うことで、声帯が滑らかになったのか、あるいはトレーニングして滑らかに「した」のか知らないけど、
並大抵のことではない。
すっごいな〜〜〜〜〜〜〜〜〜
って、本当に感動した。
考えてみればさ、
ユーミンの「天才性」って、曲作りじゃん。ソングライティングあんど言葉選びじゃん。
そこは「感性」だから努力して到達できるエリアじゃないよ、天才だよ。
だけど、他の要素はさ、全部「努力」だよね。
歌だって上手いわけじゃない、顔だって美人じゃない、スタイルだって普通にしてれば劣化はするだろうし、体力だってなくなるだろう。
68歳で、あのクラスだったら5大都市だけとかが普通なのに、全国を8ヶ月間(!)ツアーで回るなんて、どんだけのトレーナーつけてるんだよ!(以前は3人て聞いたことある)って思うもんね。
やり続けること、ってさ、一流ならできると思う。
でも超一流ってさ、「さらに良くできる(ように影でずーーーっと努力できる、のが普通)」ってことなんだろうなって、
数年前の武道館で
「わたしはまだまだこんなもんじゃありませんよ!」
ってライブの最後に言い放った彼女の、「根拠」みたいなもんを今回感じて、ものすごく感じ入ったよ。
結局はさ、才能+「努力する才能」だよ。
正しい努力の方向性というかさ。
ずっと一線でやるってそういうことなんだろうな。
そしてそういうことは言わずに、「パフォーマンスで見せるのみ」というところが、超一流なんだろうな。
「上を目指す」って、誰かとの競争じゃない。
よりよい自分を目指す、自分が満足いく結果を出す、自分の「オッケーライン」を高く持つってことってことだよね、、、、
それもこれも全て、「使命感」がドライブすること。
使命感なきところに、真のモチベーションなんて存在しないのではないだろうか????とすら思うようになってきた。
な〜んてことを、心の深いところに落として、帰ってきましたよ。
それにしても、会場の半数はオッサンで、わたしの隣も、オッサン単独だった。
「男の人を動かせる」ってのは、やっぱり真の実力者にしかできないことだよなあって、わたしは思いますね。
ほいじゃ、またね〜!