基地外のみんな、知ってるこの方?
相馬よよかさん。
いや〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜、この衝撃!!!!
よく、●●年を境に、生まれて来る子の質?種類?が違うって言われるじゃん?1999年だっけ?
「今の子たちは“違う”よ〜」って、言うじゃん。
でもさー、
ぶっちゃけ、「単なる時代の差」以上のものを、実感したことがないワタクシ。
だからそれ系の「すごい子」の話でも、そこまで「!!!!!!!!」感を感じたことがなかったし、
例えばその「すごさ」が”胎内記憶を持っている”程度だと、「うん、でも、、、、、だから何?」としか思えない。そんな人はこれまでだって、それなりの数が密かにいただろうから。
っていうのは、「完全に規格が違う人間」というのは、一体どんなだろう?という、かーーーーーーーーーーーーーなりファンタジーに近いものを、わたしは期待しているんだよ。
ところが今日、知人がシェアしていたこの記事が気になって
天才ドラマーよよかさん(12)が日本を去るワケ〜「学校は答えを最初から決めている」
日本のメディアの言う「天才」ってどの程度よ?と、さっき検索したら、6歳の時に撮影されたyoutube1本で
完全にもっていかれた!!!
俺は「聴覚の人」だから、わかる!!!!この方は、モノホンだ、と。
続いて
まじ痺れた!
わたしの好きな「後ろ目のリズム」について、この説明でまじよくわかった。この時先生8歳。
そしてこれを見て
言葉を失い、何かを鷲掴みにされ、2時間ぐらいYOYOKA動画を見続けてしまった。
この方の演奏から、言葉では言えないグルーヴ、とてつもなく圧倒的なものが放出され、
めっちゃくちゃワクワクする!ハッピーな気持ちになる!気がつくと満面の笑みで画面を見ている自分。
この音は「8歳」の音じゃないよ!
いや、音楽家としてすごいだけのすごさじゃなくて、
なんて言うか!
この子は違う!!!!!!!!!!!!!!!
何もかもが違う!!!!!!!!!!!!!!!
「天才」みたいな言葉が陳腐に見えてくるのは、「20世紀までの天才たち」のどれにも似ていないと感じるからだよ。
完全に、完っっっっっっっっっっ全に、違うわこれ。
20世紀型の「天才キッズ」が、親に強制されてやってた感丸出しで、
かつ、ガキのくせにこまっちゃくれた感、人気者になりたい媚び感、わたしすごいでしょ感
なんかが滲み出てしまう姿、、、そーゆーもんは必ずりーかおセンサーに引っかかる。
しかしこの方には、全くそういう「不浄なもの」がない!
100%喜び
からやっていらっしゃるのが伝わるし、そもそも実装されている意識レベルがハンパなく高い!!!!!
それから、この方の世代では、世界中に天才音楽キッズがたくさんいて、天才ギタリスト、天才ベーシスト、天才ボーカリストなんかとネット上で繋がり、すでに数曲のセッションなんかをしている動画も楽しませていただいた。音楽は言語だから、言葉を介さなくても高いレベルで通じ合ってるのがわかったよ。
もうね、「子ども」っていう区分意味あんの?失礼だしバカバカしい感じ。
そこで、
あっ!そういうことか〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!
これこそが、わたしが待ち望んでいた
「完全に規格が違う人間たち」
の出現なんだ!ってわかった。
だから今日になって、ようやく、この方世代がメインになる新しい世界について、ありありとしたイメージを持てるようになった。
その世界はあまりにも素敵だ。
それを知って、未来に対して本当に安心したし、今日まで生きててよかったとすら思った。
どう言っていいかわからないけど、安心して死ぬのみだ。
彼女の動画には、日本人より日本以外の国のコアな音楽ファンからのコメントがびっしり書き込まれている。
日本人も書き込んでいるけど「子どもなのに(すごいですね)」という前提感が滲み出ているあんまり頭良くないコメントが多いのに対して、英語圏の人からはそれが薄く、わたしのように「持っていかれた」人たちからのリスペクトが溢れている。
実際、すでに大御所たちには知られた存在で、大物連中とジャムセッションを「普通に」やったりしているけれども、彼女には浮ついたところが一つもない。
そんな彼女の素養も素敵だし、月並みだけど、親の育て方にも不純物がないのだろう。
最近の彼女。12歳。大人っぽいのではなくて、立派な大人だ。
プロの大御所も、彼女をミュージシャン仲間として対等に扱っている。
で、冒頭戻って、日本の学校は、こんな彼女(を代表とする新時代キッズ)には無意味な場所になってしまったわけだが、
逆にいうと、学校になんか行ってたら、規格外な才能は絶対開花なんかしないだろう(というのは、今に始まった話じゃない)。
いつの時代でも、子ども世代は「大人」にとって「未知のもの」で、その未知に対する自分のスタンスを決めきれないから、規格の中に押し込んで飼い慣らそうとしてしまうだけなんだろうな。
そして子どもにいちいち「なんとか障害」とか「なんとか特性」とかのレッテルを貼り、「でも病気なわけじゃないんです!(理解して受け入れてください!)」みたいなことを言い、
いやいや理解して受け入れていないのは、あなたでしょう?って話なのに、勝手な葛藤を続けるのが凡庸な親で、実は子供はそんな区分を与えられることを望んでいるわけじゃない、ということには気づかない。そんな風にできているのでしょう。
それはすべて「親の学び」のために起きてるんじゃないのかな。
この世代のキッズに、何かを「教える」ことができるのは、やっぱりこの世代のキッズとか、「その道の第一線級」であって、決して凡庸な俺ら世代ではないんだろうな、、、などと思った。
つまり俺らは、俺ら自身が天才か、もしくは秀でた特性を持っているのでない限り、俺ら自身の来し方行く末のみに、注力すべきなんだろう。
若い子のためにできることは、自分自身から不純物を取り除くだけ!って話だけだと思う。
それが次世代への責任というものだ。
ほなまたね〜!